畠山尚順(当時は尚長)はこの数年後には子の稙長に家督を譲りますが、大永元年3月に義稙が淡路へ出奔した際、総州家の畠山義英とともに義稙を支持したため、高国との関係を重視する家臣たちに離反され追放されたようです。(Wikipedia情報)
元々、総州家は細川政元の支持を受けていた経緯があって、義澄-澄元方に与して尚順と対立していたんですが、なぜここで協力したのかと考えると、義稙が阿波勢に迎え入れられたことが大きいんじゃないかと思います。
畠山尚順の経歴は興味深いので、落ち着いたらこの人を起点に畠山氏を追ってみたいですね。
川岡勉先生の「河内国守護畠山氏における守護代と奉行人」という論文は見つけたんですが…。
http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/bitstream/iyokan/2328/1/AN00024786_1997_30_1-29.pdf