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ホリィ(新人)のことを語る

戸次川合戦といえばちょうど今月、桐野作人氏の連載「さつま人国誌」で3回に渡って採り上げられてます。
http://373news.com/_bunka/jikokushi/

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秀久は豊臣軍の緒戦になるだけに、手柄を立てようとやる気満々だった。戸次〔へつぎ〕川(大野川の地元名)を前にして、「この川は九州一の大河で、すこぶる難所ではあるが、多勢に切所〔せっしょ〕(困難な要害)はない。恐るるに足りない」と豪語した(「土佐物語」)。
 これに対して、元親が「この川を渡るのは以〔もっ〕ての外の大事です。敵が川端から引いて備えています。堤の陰に伏兵がいるのは疑いありません」と渡河に反対した(「土佐物語」)。義統も元親に賛同したという(「大友家文書録」)。
 しかし、かつて元親と敵対したことがある存保が秀久に同調したため、ついに決戦に決した。
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http://373news.com/_bunka/jikokushi/kiji.php?storyid=7159

「土佐物語」の描写もどこまで信頼できるのか分かりませんが、三好(十河)側の史料では存保も元親と共に反対したとされているようです。
ともあれ敗戦の責任が仙石にあるのは間違いないし、後世の者からすると島津家久得意の釣り野伏にまんまと掛かったようにしか見えないからねー。
当然「センゴク」ではそういった軍記の通説を外してきてくれるものと思いますけど!この辺の時期は全く追えてないので素直に楽しめそう。