天文の錯乱のどさくさで死んだ細川晴国にも後継者がいたんですね。通政、通薫という人物はノーチェックでした。
通政のWikipediaを見ましたが、伊予に野州家の血を残してたんですね。
天文21年には将軍義輝から屋形号を賜ったとのこと、この年は色々な点で氏綱方のターニングポイントになっているように感じます。
六角定頼が死去、将軍義輝と六角氏が氏綱・三好氏と和睦して氏綱が京兆家家督、三好長慶は将軍直臣に。そして大内氏の分裂弱体化に伴い、尼子晴久が八ヶ国守護守護就任。これも義輝との和睦によるものでしょう。
見ないといけない地域は広がりますが、頑張っても素人レベルなので浅く広く押さえるしかありません。
ここのところ三好氏ばかり追ってますが、元々は応仁の乱の頃から赤松氏を中心に畿内周辺を追ってきたんです。本当に終わりがありません。