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ホリィ(新人)のことを語る

某歴史雑誌で「大寧寺の変」(陶隆房による大内義隆の弑逆事件)の歴史への影響度の評価が低いことへの嘆きがtwitterで流れてきたので、尼子晴久の八ヶ国守護職補任にも大寧寺の変が影響しているという、この川岡先生の説を紹介したら、懐疑的な反応も含めて割と反響がありました。
所詮140文字で伝えられることなんて知れてるし、実際に誤解というか書いてもいないことを想像で批判している(?)方もいたので、一応この川岡先生の講演で聞いた話で、図録にも掲載されているとフォローしておきましたが、天文21年に足利義藤が帰洛して細川氏綱を京兆家の正統と認め、晴元が出家したこと、三好長慶が御供衆に任じられたことの意味が伝わってないように見えたので、この件をブログにまとめようかと思っているところです。
天野先生も取り上げられていたことので、三好氏を多少なりとも学んでいる人なら説明不要だと思ったんですが、西国を中心に見ている人はあまり畿内に注目していないのかな?

この機会にresearchmap.jpを確認したら、川岡先生は2013年から2014年にかけて「尼子氏による出雲国成敗権の掌握」や「戦国期の室町幕府と尼子氏」といった論文も書かれてたみたい。
http://researchmap.jp/read0171182/

大阪大学附属図書館総合図書館に掲載誌があるようなので、内容を確認したいところですが…それ待ってるといつまでも書けないっていう…。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB13146633