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ホリィ(新人)のことを語る

この本の内容ですが、まず『大友記』は作者不詳だそうで、筑前の記録に詳しいのに対して府内や日向の地名に疎いこと、立花家を肯定的に書いていることから、柳川藩の関係者ではないかと推測されています。
宗麟のことを「宗麟公」と敬意を示しながらもキリスト教を完全否定していて、たとえば「宗麟公悪逆の事」と題した節では、キリシタンとなった宗麟が国中の寺社を残らず破却しようとした、英彦山を焼き討ちにした、仏像を薪にさせた、などと述べられ、これに関わった家臣達は全て神仏の罰を受けて死んだとしています。
しかし、実際にはこれらは年代がバラバラな上にかなりの創作が加えられていて、宗麟がキリシタンになったこと自体を悪様に描くために脚色されたもののようです。

宗麟がキリシタンに改宗したのは息子の義統に家督を譲ってからで、フロイス『日本史』でも宗麟本人が「息子に領国の政治を委ねて自分のことを考える時間ができたため、ようやく改宗できた」と語ったとされていて、寺社の破壊については義統の代で行われた日向侵攻の時と、宗麟が隠居した津久見だけで、そこでも他のキリシタン大名の領国についてフロイスが報告したような仏僧の追放や殺害は見られないそうです。
宗麟は国主を務めた時代にはあくまで領国統治を優先して現実的にキリスト教に接し、隠居してからキリシタンとなったので、正確には「キリシタン大名」ではないというわけですね。