先日の京都行きの目的は、京兆家の根城辺りを改めてぶらつくことでした。
以前にも応仁の乱戦跡巡りとして百々橋を目当てに寺之内通をスーッと歩きはしたんですが、その後で内藤町とか大心院町があると知ってから、どうしても再訪したくなりまして…ウロウロと…。
(白峯神宮=飛鳥井邸跡を訪れたのは、そのついででした)
気になる町名はいくつか。御三軒町、内藤町、射場町、大心院町など。
小川通。昭和39年までその名の通り「小川」という川が流れていて、応仁の乱や遊初軒の戦いで激戦地となった百々橋も、その小川に架かっていたもの。すでにその頃から通りに沿って川は曲げられていたみたいです。
激戦地となった理由はもちろん、そこが京兆家と関係者の屋敷が並ぶこのエリアへの入口であったからです。
御三軒湯。この町名も何か武士の屋敷が建ってたことに由来するのかなぁと想像しましたが、実際そう伝えられているみたい。誰だろう?
http://www.city.kyoto.lg.jp/kamigyo/page/0000029012.html
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御三軒町は小川学区の1番北に位置し,上立売通に面した東西の町です。上立売は古い時代の商業の繁栄を残している地名です。学区には公卿の邸宅や寺院の名を表す町名がたくさんあり,このあたりは室町幕府の華やかな時代が偲ばれる土地です。御三軒町もその昔,三軒の武士の侍所があったとか聞いております。応仁の乱で焼野原になり,また立ちなおったり,江戸時代に織屋さん達が組織を作って発展した関係もあり,織物に関連した業者が軒を並べ,次第に庶民の町となりました。