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ホリィ(新人)のことを語る

昨日、『戦国三好氏と篠原長房』を少し読み返していてちょっと気になったことが。
永正18年9月13日に篠原左京進之良、湯浅弾正国氏と共に瓦林日向守国時が連署してる書状が紹介されてます。(秋山家文書)
明らかに澄元方の瓦林出雲守や瓦林新五郎という人物もいたし、永正18年は瓦林正頼が高国に内通を疑われて自害させられた翌年なので、瓦林日向守が澄元方に走ったのかと思いましたが…。

同じ秋山家文書として、ここにも多分同時期の「細川高国在京奉行人連署奉書」として瓦林日向守と湯浅弾正?の名前が出てます。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/262722/3

秋山氏は讃岐の国人だし、当時の讃岐守護は京兆家家督の高国ということで、問題ない内容だと思います。
そして、瓦林日向守は『細川両家記』では享禄4年のいわゆる大物崩れで討死した高国方の中に名が挙がっているわけで、問題なさそうなんですが。
ただ、篠原左京進「之良」って名前はどう考えても讃州家由来だし、どういう経緯なのか…永正17年の澄元方敗退で、この人が高国方に走ったと考えるのが妥当でしょうか?