今回の高松行で初めて香西氏の本拠地・佐料城跡と勝賀山に行きました。
山頂までは上っていませんが、佐料から磯崎山(藤尾城)への移転の理由や、出城の芝山城との関係が何となく分かった気がします。
長らく政治拠点であった佐料城を、水上交通の要衝として発展してきた香西浦を城下の中心とすべく移転したものでしょう。
藤尾城は今でこそ内陸ですが、当時は舟入を持つ水城だったようですし、山に籠もっていては町も守れず、海上からの支援なしに長期戦を戦える時代ではなかったということでしょう。
佐料方面から。今までよく目にしていた台形の大きい山がまさに勝賀山だったという…。
佐料は車を停める場所に困るような狭い集落でしたが、城跡は公民館と小さな神社になってます。
事前情報では堀跡や『南海通記』を記した香西成資が父の植松吉兵衛を供養した墓があるようでしたが、短時間では探しきれませんでした。
勝賀山の中腹から。左の山が神宮寺山、右の山が薬師山。真ん中の遠くに見える島が女木島です。この角度では見えていませんが、海上の出城があった芝山は薬師山の奥にあります。
薬師山は中世には是竹山といい、この東麓に香西元定によって大内義興の霊像を祀る大内堂(大内寺)が建てられました。
勝賀山には全体にみかん畑が広がり、平成に完成した勝賀農免道路が走ってます。標高360mを超え、山城としては結構高い方と思われる勝賀山ですが、この道路を通って登山口付近まで車で近寄れました。(駐車場はないけど道端に少し広くなってる)
時間と装備不足(短パンにサンダル履き笑)で控えましたが、たぶんそこから30分もあれば山頂に着きます。
この絵も大げさではないくらいのスケール感です。
「お四国さん」というのは神宮寺山の北側にあるミニ巡拝路で、香西寺から上れるようです。
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