讃岐の香西氏のことを軽くブログに書こうと思ったけど、手元に資料が全くないので適当に検索してたら、国立国会図書館デジタルコレクションに「南海通記」があって、思いのほか深入りすることになってしまった…。
「香西記」「香西雑記」を収録している「香川叢書」というのもありました。
「大内義興報恩堂」(大内堂)は大内寺とも呼ばれていたみたいです。南海通記、香西記のどちらにも記述がありました。
香西記
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1918223/104
>三位義興の像を造立して一宇を立、大内堂と云。又號大内寺也。
南海通記
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1020201/120
>是義興の芳恩にありとて香西氏の産神藤尾八幡宮の向の山に堂を立て義興の霊像を安置して、是を祭る是を大内堂と云う
>世は変り行けども其林木と名ばかりは今に存せり。
興味深いのは、永正17年秋に大内義興が2万余の兵を挙げて上洛すべく堺の浦に到着云々とあるところ。事実であれば反高国の戦に大内氏も加わっていたことになりますが、はてさて。