この後で立ち寄った日吉町郷土資料館にて
この図録を買うのが一番の目的でしたが、せっかくなので常設展示も見てみると、なかなか面白かったです。
実はこの辺りは桂川の上流に当たる大堰川の流域で、筏を組んで木材を流したり、アユモチと呼ばれる運び屋が鮎を生きたまま桶で運んだりと、京都と密接に繋がってたそうで、そういう歴史の紹介がありました。
これは湯浅氏の屋敷で、日吉ダムの建設で水没した集落から移築されたそうです。
紀州湯浅氏の同族で、戦国時代には世木城主の湯浅五郎兵衛尉宗貞が守護代内藤氏と姻戚を結んだり、細川幽斎と姻戚を結んだりと地域で重要な役割を担ったものの、細川氏の転封には従わず帰農。
後裔の湯浅五郎兵衛宗成は幕末の志士としても知られ、古高俊太郎を養子として分家の桝屋を継がせた人物とのことで、近世を通じて京都との繋がりを保っていたみたいです。
中には農具なども展示されていました。
縄をよりよりする機械。
ホリィ(新人)のことを語る