翌日は朝から加賀橋立に立ち寄りました。ここは江戸時代後期から明治にかけて北前船の船主や船頭が大勢居住したという集落です。
明治5年の「橋立の大火」で集落の大部分を焼失した時にもその財力でいち早く立ち直ったそうで、鉄道の発達とともに北前船が廃れていくと、金融業や北洋漁業など新たな事業を手掛けて多くが移住していったため、当時の屋敷や石垣が多く残されているとのこと。
江戸時代には藩主の浜御殿と称されて大聖寺藩主が訪れたという、久保彦兵衛の邸宅跡にて。彦兵衛は藩への財政協力を認められて久保の姓を許され、士分に取り立てられたそうです。
この階段が現れた時には思わず、ウォォと声を上げてしまいました。これもおそらく元は久保さん宅のもの。
今もこの地域の方は伝統的な赤瓦の町並みを保たれていますが、加賀の赤瓦屋根は越前のものだそうです。ちなみに、越前赤瓦は北前船によって函館まで伝わり、かの五稜郭の箱館奉行所にも使われていたとのこと。
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