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ホリィ(新人)のことを語る

特別展「一乗谷 戦国城下町の栄華」の図録も買ったので読んでます。


こちらは朝倉氏遺跡資料館で見た歴博甲本「洛中洛外図屏風」復元映像の解説ですが、個人的に興味深い説明がありました。
大永6年頃の将軍足利義晴と管領細川高国の京都を描いたもので、左隻2扇中下の「てんきう」(細川典厩邸)の下に描かれているのが丹波守護代の内藤邸だそうですが、足利義輝在京期の永禄年間頃を描いた上杉本(後に上洛した信長が謙信に贈ったことで有名なやつ)では、ここが三好長慶の邸宅になっているという話です。
当時はここに内藤国貞が住んでいたものと思われますが、後年その討死後に娘を娶って名跡を継いだ松永長頼(久秀の兄)が、久秀ともども三好一門として遇されたことも合わせて考えると、義晴・高国政権期における内藤氏の存在感はそれだけ大きかったのだろうなと思わされました。

内藤邸については触れていませんが、歴博の公式サイトにも小島道裕氏の解説がありました。
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/145/witness.html
今年の3月に吉川弘文館から小島道裕氏の『洛中洛外図屏風: つくられた〈京都〉を読み解く』が出ていますが、内藤邸についても記述がありました。それによると、今も京都市上京区の寺之内通沿いに「内藤町」という地名が残っているそうです。細川政元の旧邸に因んだ「大心院町」なども残ってます。

管領邸、左上に高国の隠居姿(顔の上半分が隠れている)
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/rakutyuu/base+16/l336.html

管領邸、左中ほどに稙国
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/rakutyuu/base+16/l234.html

典厩邸、右中ほどに尹賢
https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/webgallery/rakutyuu/base+16/l235.html