明石川と出羽殿堤
衣川中学校のグラウンド裏あたりに、何となく堤っぽさが残っています。衣川っていうのは明石川の別名だそうです。
辺りは藤の花の匂いがムンムンしてました。
船上城と池田由之については、以前にもこちらで触れてました。
http://h.hatena.ne.jp/k-holy/81815292467320781
こちらのブログも参考になります。
http://ameblo.jp/esqi-oyaji/entry-12053111447.html
船上城の周囲が湿地帯だったと推定されていますが、船上東公園には船上周辺を開墾した人の記念碑が建っていて、それまでの船上地域の土地環境をdisるような内容だったので、実際に近代までの風景はそんな感じだったのかなと。
おそらく、小笠原氏時代に明石城が築かれたのも、船上は周囲の土地が狭く城下町の発展が望めないことが理由と思われます。
そして、その時に多くの住民が移住して、明石の中心街は川の西側から東側に移ったようです。更に西の林崎は漁港として栄えましたが、船上は寂れてしまったんでしょう。
ちなみにWikipedia情報によると、明石城の巽櫓は船上城からの移築と伝わっているそうです。