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ホリィ(新人)のことを語る

「波多野稙通さんとは何者なのか」信長の野望201X '17.11月の勾玉交換武将より
http://trillion-3934p.hatenablog.com/entry/2017/11/01/232036
これは信長の野望201Xに便乗した(?)分かりやすい「波多野稙通」入門記事ですね。

>「波多野秀治さん」って本当に正親町天皇の即位式に参加していたの? とか。
>(波多野宗高さんが秀親さんなら、こちらは先に三好家に降っていたはずなので警護に加わっていても不思議ではない)
この件については僕も気になってたんですが、今のところ確実な史料からは否定的な材料しか見当たらないようですね。
八上城跡にあるという「波多野秀治公表忠碑」の全文がこちらのブログに掲載されていましたが…。
http://d.hatena.ne.jp/Genza_Aboshi/20081012/p1
>永禄三年正親町天皇即位時朝廷式微不能行礼。応仁以来干戈相踵諸道豪族不遑
>輸葵傾之情。波多野秀治天性至忠聞之慨歎与同宗高及毛利元就相謀献金助儀。於是
>乎盛典始挙。叡感不斜叙任秀治于右衛門大夫正四位下侍従。
などとまあ、三好贔屓としては噴飯物の内容と言わざるを得ません。
この時代のいわゆる戦国武将への追贈は、当時の有力者の祖先顕彰という政治的な目的で行われたケースが多いでしょうし、大正4年11月10日の即位礼に際して、波多野秀治・波多野宗高に従三位を追贈するため創作されたものと考えるのが妥当ではないかと。
当時の有力者に該当する人はいないかWikipediaで調べたところ、第2次大隈内閣で宮内大臣を務めたという、波多野敬直がいました。
この人が波多野宗高の末裔、「表忠碑」への揮毫も当時の毛利家当主・毛利元昭ということで、長州閥による働きかけがあったのではないでしょうか。
ちなみに明治41年、毛利元就への正一位追贈も正親町天皇の即位礼のため献金したことを理由としたものですが、こちらは歴史的事実ですね。(正一位に相応しいかどうかはさておき…)