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ホリィ(新人)のことを語る

小林正信氏の説の概要や、本能寺の変を巡る論争の経緯は『明智光秀の乱』の元になったというこちらの論文『織田・徳川同盟と王権-明智光秀の乱をめぐって-』の論評が参考になりそうです。
http://www.iwata-shoin.co.jp/shohyo/sho589.htm

小林正信氏の説は大体こんな流れ?
・信長は将軍義昭の追放後も室町幕府体制の維持を基本方針としていた
・奉公衆の出自である光秀はそのための重要な役割を果たしていた
・しかし、信長は徳川家康を征夷大将軍に任じて自らはその上位に立つ方針に切り替えた
・そのことで、自己の存立基盤を脅かされた光秀はこれに反発して乱を起こした
(正親町天皇の関わりや豊臣政権の評価は省略)

藤田達生氏は足利義昭が関与、立花京子は朝廷が関与という立場のようです。
氏の説のポイントは、光秀が守ろうとしたという「室町幕府体制」が将軍義昭の擁立を必要としないところだと思います。そこが藤田氏との大きな違いでしょうか。
今回の書状原本発見で取り上げられている藤田氏の見解については、義昭黒幕説を取りつつ光秀の反乱を幕府再興のためと捉えるなら、義昭を庇護している毛利氏との連携が無いのはおかしいと思うんですが、その辺はどう解釈されているんでしょうね。
なお、この書状の内容自体は複製の存在により以前からたびたび取り上げられているもので、信長による紀州征伐時のものとする天正5年説があったところに、藤田氏が天正10年説を唱えていたという流れのようです。今回はその原本が見つかったという話。