太鼓櫓下から乾門まで続く屏風折の石垣
この辺りも、松山城で好きな眺めの一つです。石垣を屏風折にすることで、様々な角度から寄手に対して集中砲火を浴びせられる構造になっています。
この石垣に北登リ石垣、南登り石垣が連結され、山麓の二之丸御殿までを囲うように、防御壁が続いていたわけです。
この絵図に水色の線を引いた部分。一度下から仰ぎ見てみたいものですが、ここは立入禁止になってます。
筒井門を避けて石垣の下を頑張って奥に進んでも、乾門方面もこのように堅固な石垣で守られています。
乾門方面から見ると、石垣が二段になっているのが分かります。石垣の強度の問題でしょうか?先程の絵図でもよく見るとそう描かれてますね。
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