ちなみにこの「芥川山城」という名前にまつわる話はちょっとややこしくて、この山城とは別に、近世に西国街道沿いに発展した芥川宿(現高槻市芥川町)の辺りにも地元の国人・芥川真上氏の居城があったとかなかったとか。
高槻市としては、その芥川宿の方の城を「芥川城」、三好氏が畿内における本拠地とした山城の方は「芥川山城」と呼んで区別していて、それを定着させたいみたいですが、なにせ当時の史料には山城の方を指して「芥川城」と書かれているものですから、そんな高槻市の事情なんて知ったこっちゃない多くの研究者は当然そのまま表記するわけでして…。
ちなみに芥川宿の城跡の方は、芥川氏の末裔を名乗り、芥川村の庄屋を務めたという岸田さん宅の石垣がその場所として比定されているらしいですが、遺構の調査などは行われていないようです。
そちらを調査することで芥川山城との関係もはっきりすると思うんですけど、すでに市街地化しているようですし、難しいのかもしれません。
山城の方は築城時期にはすでに芥川氏は没落していて、高国方の能勢氏が城主となり、その後晴元方で芥川氏を継いだ三好一族の芥川孫十郎が城主となっています。どちらも平時は平地の居館にいたという説もあってややこしい。
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