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ホリィ(新人)のことを語る

先日はこの「御内書案」の続きと「続南行雑録」より永正17年頃の動向を確認しました。

永正16年12月8日付御内書案、細川右京大夫(高国)に宛てたもの。
>其後者時宜如何候哉。無心元候。早速勝利被待思食候。猶貞辰可申候也。
澄元方はこの頃越水城を攻囲中、以下「細川両家記」によると高国は11月21日に京都を出て12月2日に池田城に入り、越水城の後詰めのために武庫川沿いに布陣して合戦という状況。

同年12月28日には佐々木四郎(六角定頼)に宛てて。
>連々不可存疎略之由。被聞召訖。彌致忠節者可為神妙候也。
六角氏に対する援軍要請です。2月には高国が近江へいったん退去するも将軍義稙はそれに従わず京都に残り、三好之長が京都に入るわけですが、高国方は5月に六角氏の援軍を得た上で丹波勢と呼応して反撃、という流れになります。
六角氏の反応がもう少し早ければ、義稙も澄元を受け入れることはなかったのかもしれません。