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ホリィ(新人)のことを語る

あと、永正16年8月には細川右京太夫(高国)に宛ててこんな内容も。
> 就和州諸牢人出張之儀。急度差遣一勢。順光ニ合力候者。可為神妙候也。
「和州諸牢人」は時期的に考えて、阿波の細川澄元の上洛戦に呼応したものでしょう。
義稙は以前より赤松義村を仲介して澄元とも通じていたって話があるんですが、義稙が手足と頼む順光に迎撃させていると読めば、少なくとも公的には全く高国支持で動いていることになるわけで。
だとすると、やはり山田先生の義稙本にあったように、三好之長が上洛に及ぶ前後ギリギリの決断で澄元支持に変えたんじゃないかと。
この辺の細かい動向は参考になる論文とか資料が手元にないので、妄想だけで突っ走るのはあまりに危険だなと思い始めました。