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ホリィ(新人)のことを語る

先日はブログ記事のためにまた図書館で続群書類従を読んでたんですが、武家部に将軍義稙の御内書案が収録されているのを見つけて、答えを探していたはずが更に疑問が増えていったという…。
気になったのは、永正14年6月2日付の伊勢貞陸から「勝山院」宛の以下の内容。
> 進退之事懇望之由。大内左京太夫執申之條。被聞食訖。猶義興可申候也。
勝山院は畠山尾州とのこと。Wikipediaによると畠山卜山(尚順)の法号が「勝仙院」らしいのですが、「進退之事懇望之由」って何だろうなと。
「猶義興可申候也」っていうのはよくある定形文言で、詳しくは使者の○○から直接話しますっていう意味なんですが、畠山卜山に大内義興が会いに行くってことなら、よっぽどなんじゃないかなと。
尚順自身はすでに永正12年に家督を次郎(稙長)に継がせて領国紀伊に帰国していたようなんですが、この時たまたま在京してたんでしょうか。いずれにせよ隠居云々という話であれば今更な感じもあるし、よく分かりません。そもそも、義興自身もすでに帰国に向けて動いている時期ですし。

尚順といえば…「Muromachi通り」のこの記事をもう一度読んでみたけど、これが流れの中でどう位置付けされるのかは分かりませんでした。
http://mblog.reisenki.com/article/174816982.html