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ホリィ(新人)のことを語る

小谷量子「上杉本洛中洛外図屏風注文者 近衛氏の生涯」
http://id.nii.ac.jp/1133/00002521/

こちらの論文では将軍義晴御台の慶寿院を「将軍家家長」と評価されており、大変興味深いです。
内容は慶寿院の生涯を中心に、近衛稙家、聖護院道増、大覚寺義俊、久我晴通らの兄弟も含めた近衛家の動向を追うものですが、将軍周辺の動向とその背景の事蹟が詳細にまとめられていて、学びが多いです。
特に天文22年に将軍義輝と三好長慶の和談が破れた際、晴元との提携を選択したのは近衛稙家と慶寿院だったのではないかと推測されていたり、その後永禄元年末までの朽木滞在期にも大覚寺義俊の在京を指摘されていたりと、細かいところで重要な示唆があります。永禄の政変の背景についても、中立的な視点で多くの情報が紹介されています。
天野先生が三好政権への寝返り組と評価している伊勢貞孝の動向についても、ここではちょっと違う印象を受けますね。
(明応の政変における貞宗・貞陸父子、また義稙の帰洛と出奔時における貞陸・貞忠父子といい、政権交代期の伊勢守家の動向は謎が多いので、どなたか解明していただけると嬉しいのですが…。)

このところ、義晴の生涯が大河ドラマになれば面白いのではと考えてましたが、この論文を読むとむしろ「洛中洛外図屏風」を一つのテーマとして女性枠で慶寿院をやるのも良いかもと思えてきます。

なお、この方は博士論文「洛中洛外図屏風」にて、上杉本図屏風の発注者は義輝ではなく母の慶寿院で、制作目的は永禄9年5月の義晴十七回忌のためと推定されているばかりか、通説で上杉謙信と言われている塗輿の貴人の行列は「穴太記」との照合から将軍義晴の近江没落を描いたものだと提唱していたりと、目が離せない感じです。