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ホリィ(新人)のことを語る

三好政権と将軍義輝の関係について、他の研究者からの言及という点では『洛中洛外図屏風(上杉本)』関連が面白いです。
こちらの論文では、近年進展著しい戦国期畿内政治史の研究成果を取り込み、制作者や時期の特定に留まらず、個々の描画対象や表現の意図を紐解こうとされています。

下川雅弘「『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート」
http://id.nii.ac.jp/1449/00001217/

教興寺の戦いの際に大覚寺義俊(近衛尚通の子で、義輝・義昭兄弟の生母慶寿院の兄にあたる)が明確に反三好方として動いた件について、天野先生はたびたび将軍義輝が敵方に通じていた証拠としてこれを挙げているものの、いまいち説得力に欠けると感じていたのですが、ここでは天野説を援用し「表面上は三好方との協調関係を維持することに努めていた」義輝が、内心では「義俊や伊勢貞孝と通じていたと考えるのが自然」としつつも、「義輝が大覚寺義俊と内通していたことを示す証拠は見当たらない」と冷静に評価されていたりして、好印象です。

特に、義輝が「上杉謙信の力を借りて新たな政治秩序の構築を目指そうとする」時期を、三好方の世代交代の契機である「三好義興が死去した永禄6年8月以降」と推測されている点は、図屏風に描かれている三好筑前邸(義興邸)の明らかに寂しい情景を考えると、納得できます。
というか、僕も以前から、あれは義興病死という直近の事件に対して義輝が弔意を表現したものではないかと妄想しているわけですけれども。