卑弥呼が「乱」の直後に「共立」されたのではないのではないか、ということについて。
魏志ではこの部分
「其国本亦以男子為王住七八十年倭国乱相攻伐歴年乃共立一女子為王曰卑弥呼」
「乃」の字は慣例的に「すなわち」と訓読するが、「即」と違い「前段あって直後に後段」という意味ではない。「前段を受けて後段」だが、時期には含みがあり、「やや間を置いて」という意味合いもあるようだ。
後漢書ではこの部分
「桓霊間倭国大乱更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑弥呼(中略)是共立為王」
「歴年無主」の時期が「更相攻伐」の時期の後に続くと読んでよければ、「乱」から「共立」の間に時間がある。
「古代の王者平均10年説」と合わせて考えれば、卑弥呼が共立されたのは、その死の時期から30年遡るのは難しく、そう考える必要もない。