私は昌ちゃんタイプなので(口うるさくてまじめで小心者)
世間知らずの糸ちゃんにイライラしている感じ、がよくわかる(笑)
しかし、世間は厳しいけど、優しいよね、糸ちゃん。
優しさの出し方が絶妙で膝を打ったわ……。
配給に行かなかった理由も、そしてそれがかえって誤解を生む事も、本当に良く出来てるなあ、と。
ただ、食べ物がたくさんある=闇!で終わらせない。たった15分しかないのに。
ちゃんと段階を踏んで糸子は状況を理解していき、それが冗長じゃない。視聴者も、新たな目線を得るし。
登場人物に、誰一人、(展開のために)視聴者目線でわかっている、…[全文を見る]
昨日の笑った「法螺話」がこんな場所で、こんな風に効いてくる。本当に計算されている。
「言葉で説明しない」ことのバランスも絶妙(時々、説明しなくちゃ行けない状況なんだなーと思うときもあるけれど、基本的には削ぎ落として言ってると思う)
セリフにするべき言葉は
「口をついてでてしまった言葉」だけだ。
それだけで充分だし、充分であるべきだ。
セリフなんかなくても、テレビの画面には他にもたくさん情報があるのだし。
役者の表情、動作。
表現したいものに寄り添うような劇伴。
カメラが捉える、背景。大道具。小道具。
そんなにたくさん、情報が溢れてい…[全文を見る]
この先、仮に糸子が人を殺したりしたとしても、
私この糸子を応援し続けてしまう自信があるわー。
「因果応報」って言われた瞬間の、昌子さんの顔!
普段常識を解いて静止する側の人間だけど
ちゃーんとオハラ洋装店の一員なのねw
しかし、あんな嫌な事言われて腹を立てても
「この機会に自分のことも省みる」かー。
十朱さんと、麻生さんはほんとーに親子って感じだよねー。
正司さんと善作と糸子にも血のつながりが見えるし。
不思議だなあ。
気丈で行動力のある糸子が、何かのたびに人の助けのありがたさを実感したり
自分の恐怖を口にしたりするんだけど、これがもう、泣ける……!
「カーネーション」のノベライズをちょろっと立ち読みしたとき
251ページの一文に号泣しそうになったんだけど
それがこの回でした。
「心細いわ……」
ノベライズも面白そうだったけど、渡辺あやさんのシナリオ自体を売ってくれないかなあ。
受注生産でもいいからさ。
今日、泰蔵兄ちゃんとすれ違った糸ちゃんの顔は
「反省してない」とかそんなわけはない、そう言う顔だった。
ああ……
と思ってみていたら、あさいちではあの顔を
「旦那さんが浮気したところで、初恋の人にあってどきっとした」
見たいに解釈してて、うえええええ!?と思った。
い、いろいろですね……。
こういうときに出てくる「浮気は男の甲斐性」ということばを
キリッとにらんで許さないと言う描写が凄く良かった。
それで、男達はだめだ、それに比べて女だったら、と言うところで言葉が全く出てこなくなるところ。
そこが、また、良かった。
今日は小林薫になかされたのであった。ただ、黙ってやってきたときの、あの顔に。
そして勝さんの浮気発覚!?
いい人だと思ってたのに!浮気なんて最低!とも思わないし、まあまあ、この時代だし、男の浮気の一つや二つ……とも全く思わない。
ただひたすら、糸子がこれにどう対応するのか、が気になるのである。
(女の人に会いに行くかな−?それとも、色々考えた末、めんどくさい!で忘れるかなあ)
でもね。昨日も今日も、思っていますよ。
「おばちゃん!調子のいいときに、調子にのってもあかんけど、苦しいときにくじけてもあかん、でしょう!?」
って。がんばれ。がんばれー!安岡のおばちゃん。
糸ちゃんは、あくまで、糸ちゃんだ。
「物語的に反省」したりしないんだ。
それでいい!
ものすごいリアリティがあった。
あれ見て、糸子は反省してない!と言う人もいるんだろうけど、してるしてる反省してるよ、って言うか、自分を責めてる。そして混乱している。
こういう事、経験あるけど、反省して、自分が悪いと自分を責めた後、でもでもだって、っていうよね?え、いわない?その後また、そう言う自分に自己嫌悪。
みんなが自分を実は嫌ってるんじゃないか、と考えたり、それを確かめたくなったり、拗ねたり。
そう言うのを繰り返しながらちょっとずつ、答えを出…[全文を見る]
このドラマは、糸ちゃんが無敵のヒーローじゃないんだな。
安岡のおばちゃんの言ってることすごく貴重だもの。
糸ちゃんは、決して人より強い訳ではない、強く見えるからって傷つかない訳じゃないし、負けてるように見えないからって、勝ち続けてる訳じゃない、と、私は何となく思うけれど、でも人は他人のことを究極的に理解できない。あなたと私は違う人。だから、ああいうことだってやっぱり起こる。(勘助のことも、糸ちゃんのことも、おばちゃんのことも)。
単純に、反省する、ごめんなさい、という話でもない気がする。
目を背けたいような、自分が引き金となった行為をごまかさずに見るしかないんじゃないかなあ。そしてそれは、(自分自身の)足るを知る、ということでしかない。
どんな人だって、人と関わる限り、足らない自分でやっていくしかないのねー……
「調子のいいときに調子に乗ってもあかんけど、苦しいときにくじけてもあかん」
岸和田の、この場所のこの人たちの暮らしがなんとか守られはしないかとその術を探してしまう。(ドラマなのに)
不安になって、この辺りに何があったか、調べてしまう。(史実だからね)
どうかこの人たちに大きな被害がなければいい、と、勝手なことも、祈り続けてしまう。
物語として、都合よく戦争を描いたりしたら、がっかりするに決まっているのに。
戦争は、この国に確かにあったんだなあ、と実感してしまう。
「なんで子供なんてうんでしもうたんやろ」と昨日は言ってても、今日はこれだから。
そうだよね、めんどうな日もあるよね。疲れて当たっちゃう日もある。離れてたら、苦しいよね。といちいちリアル。仕事しながら子供を育てるって一家総出で本当に大変だ。
うちは、母親しかいなくてその母親は当然働いていたので、昔から風邪なんかひくと、まず嫌な顔された。
看護婦だったから、と言うのもあるだろうが、風邪は労ってもらう、と言うよりも原因究明がまず先にあって、大抵「あんたが○○だからよ」と叱られた。
○○の部分は色々あった。
遅くまで起きているからよ
寒そうな…[全文を見る]
という、自分語りしちゃうくらい、今日のカーネーションは個人的にくる話だったちゅーことよ。
現実主義者で口うるさい昌子さん。上司である糸子にも容赦ない。でも毎回、糸子はこの人を上手く使ってるなーとおもう。そして昌子さんは、糸子に上手く使われてくれているなーと。
こういうのみると、オハラ洋装店は企業なんだなーと思う。
慌てたおかあちゃんの「するめ」
笑いどころだけど、唐突じゃないのは、ここまできっちりおかあちゃんのキャラクターが出来上がっているから。
当たり前のことだけど、丁寧に丁寧に積み重なったものの上にある。
おかあちゃん、やりそうだもん。ああいうこと。
はがきがにじむ演出は「涙」の演出?
それとも何かの伏線なのかしら。
涙だとしたら、すごいなあ。
自分の手柄でもないのに祝われる、と言うことに違和感を感じていた糸子が、祝言の席でみんなの優しさや笑顔に触れて、「自分は果報者だ」と思う、と言う今日の放送。
「衣装が違うことは気づかれなかった、いや、い言わないでいてくれたのかも」と糸子が気づいているところが、糸子の、人に愛される理由。
独りよがりのがんばりとバイタリティだけではない。ちゃんと「生かされてる」事に気がついてる。
「(結婚は)自分の手柄じゃないのだから、おめでとうと言われてもぴんと来ない」と言ってた糸子が、自分を待っていてくれたみんなの、笑顔と涙をみて、それに気がついたんだ。
本当に良い結婚式だ。
そして脚本の渡辺あやさん。大好きすぎる!
今朝のカーネーション、泣いた。泣いた。泣いた。
ぼろぼろと涙を流しながら「糸子、糸子」と糸子の体をなでるお母ちゃんに泣いた。
涙を流しながら、ケーキをくるっとひっくり返して、「ひしゃげとるけど味はわからん」というおばあちゃんに泣いた。
2人の、親としてのやりきれなさが画面に凄く出てた。
このドラマの凄いところは、誰一人悪い人がいないところだ。そして全ての人に、ちゃんとこれまでにたどってきた物語と、考えがある。そう言う当たり前のことが尊重されていることだ。ドラマの都合で悪役になる人なんて一人もいない。そう見える。
それと、麻生祐未は、素敵な女優さんなんですね。
神戸のおばあちゃんをみて「守ってあげないといけない存在になったんだ」と糸子が言うとき、私は、幼い頃、朝ドラを見て、私たちを保育園に送り届けてくれていた(そして自分はそのまま仕事に行く)祖母のことを思い出して泣いていた。