「約束するには、もう遅すぎるの。」
後半で救われるとわかっていても、この前半のフレーズだけ印象に残ってしまい、それを反芻しています。
http://h.hatena.ne.jp/kamo_negitoro/227134065337101905
/知らんがナ
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「約束するには、もう遅すぎるの。」
後半で救われるとわかっていても、この前半のフレーズだけ印象に残ってしまい、それを反芻しています。
http://h.hatena.ne.jp/kamo_negitoro/227134065337101905
わたしは、
アイスバーン
→
カートコバーン
→
ごろごろ にゃーん ごろごろ にゃーん と、ひこうきはとんでいきます。(高橋美鈴朗読)
と連想がすすんで優しい気持ちになりますね。
たぶん何かがひと段落着いたので、また少し部屋を狭くするかなあ。
(翻訳:1/32航空機キットやら1/350の艦船キットなどの購入を検討中である。)
「制作」は「(芸術)作品」で「製作」は「(工業)製品」であることから前者の方が後者より意匠とか抽象性などに重きが置かれている印象がある。であるから「製作委員会」はマネージメントも含む大局的なもので「制作委員会」は具体的な作品を作る、というのが感覚的にしっくりこないんだけど、「製作」は「数字に絡むのも」「現実」といったところを担っているのだとするとまあわからんでもないかな。(えらそう)
習近平の名前をしみじみ見ていて、日本人の名前でももしかしたらありそうかな?とかどうでもいいこと考えてました。
そういえば若いひとの中で「〜平(ほにゃぺい)」(寛平、周平、順平、段平、それにひかる一平とか左とん平とか、サザエさんの三平さんとか)って名前みかけなくなったような。
知人では30代で順平さんがひとりいる。そういえば世代を問わずいそうで、漫画とかでもよく出てくる感じだけど以外といない。(たまたま?)
「くさ」なぎくんが「かとり(鹿鳥)」くんを推「薦」します!
と覚えるかなあ。
空目って書くと味噌ラーメンが食べたくなるから困るんだヨネ。
あと一月ちょっとでオリンピックだなんて信じられないのだけど、ファンの皆様は用意周到なのでせうね。
27日深夜に福岡の田舎から投函したわたくしの年賀状、町内である実家には元旦に届きましたけれども、東京、埼玉、奈良、岡山の皆々様、届きましたでしょうか。
氷川きよしの不惑と、TOKIOの紅白出場回数24回、はじわじわとくるな。
うちのネコたちは父がすきなので父を探すことがある。「にゃ」といって私のいる部屋に顔を出したので、父のところに連れてってやろうと抱き抱えると、最近「にゃ」くらいしか言わないネコが軽く爪を立てて「みぎゃぁあああ」と鳴いて逃げて行った。このパターンは多い。嫌われ街道悪循環まっしぐらである。
引用スター復活記念がすごく盛り上がっているな!
と
思ったら8年少し前にも同じことがあったんだなあ。当時を覚えているハイク的長老たちは今回をどのような目で見ていたのであろうか。
年賀状の作成さえなければ私の年末年始(しばしば年始に持ち越すので)もかなり平穏なのものになるのにと思うのだけど、その原因を掘っていくと一筆入れるところが一番の難所であって、それはつまりこれまで気づいてきた人間関係の脆(辛くなりそうなので掘るのやめ)
二人三脚のサンドイッチ(具が2つでパンが3枚のやつ)はわたくしにはとても食べにくいのだけど、あれを平気でさばける人が世の中にはいっぱいいるということか。
キーボードの右シフトキーは左手で何か食べ物を掴んで食べながら右手だけでタイプしているときにしか使ってないな。
「知らんがナ」をミスタイプしたまま変換したら「剃らんがナ」になって、「何を?(*>_<*)」と思いました。
(とか思ってたら何を書こうとしたか忘れた。)
私の帰省する日はもちろん私が決めてはいるのだが、実家の予定とも関係するので私がいくつか候補日、時間帯を示す。
その候補日の中から家族との相談で私の帰省日が決まるわけだが、日程が決まる理由が「兄が夜遅く駅に着いたときにタクシーがないときがあるから私が迎えに行けるように」という決まり方をすると、なんかこう存在の耐えられない軽さのようなものを感じてしまうのである。
先生、あなたはか弱き大人の代弁者なのですか?
「係累」の使い方を間違いましたが、まあ伝わると思っています。
自分の苗字を見てしみじみと「めずらしい苗字だなぁ」(別にレア度は高くないけど係累以外の知り合いに同じ苗字はいないくらいの苗字)と思うことがあります。何かの兆候でしょうか。