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美の巨人たちのことを語る

イスラム装飾の文様の美しさと 青の美しさに、
猛烈な憧れを覚える。

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美の巨人たちのことを語る

パウル・クレーもチュニジアを訪れていた・・・
 
パウル・クレー!
何年か前のこと、クレーの展覧会で 実際に作品を見、
それまで興味のなかったクレーの作品が素敵だとわかって、それ以来好きになった。

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美の巨人たちのことを語る

チュニジアにて
「紺碧の海、深ーいよ」 と言った薫さんの、
深ーいよの言い方が ロールちゃんっぽかった

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美の巨人たちのことを語る

モロッコ、憧れるなぁ。。。
もし行ったら(いや、行けないけど)、日本人だとわかった途端、
「こいつ カモや!」 って 思われるかもしれんけどw

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美の巨人たちのことを語る

猿使いやコブラ使いのいる広場で、断わってるのに
なかば強引に お猿さんを頭に乗せられた小林薫さん、
「お金が発生するから やめてー」(=料金払わなくちゃいけないから) って言ってたww

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美の巨人たちのことを語る

ドラクロワに心酔し、『アルジェの女たち』 を模写したり、
モデルに北アフリカの衣装を着せて描いたこともあったルノワール。
憧れの地を、ルノワールも訪れていた。

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美の巨人たちのことを語る

モロッコに半年滞在したあと、アルジェリアへと向かったドラクロワ。
 
アルジェリアといえば、あの 『アルジェの女たち』(1834年)を、
ドラクロワに描かせた地である。
 
それまでの西洋絵画にはなかった色彩と光を描き、
絵画史を塗り替えたとまで言われる一枚である。

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美の巨人たちのことを語る

ドラクロワが かつてここを訪れた際、
あまりの文化の違いに 感動・興奮した彼の作風に、
多大なる影響を与えた、モロッコのタンジェ。
 
青い壁の家々が美しい。
あんな街並みに 憧れる。

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美の巨人たちのことを語る

今日の 美の巨人たち は、北アフリカがテーマです。
多くの画家たちに影響を与えた地と その美を、
いつもはナレーションの小林薫さんが 旅するスペシャル版。

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美の巨人たちのことを語る

セザンヌは、のちの画家に多大な影響を与えている。
 
今日の一枚である 『りんごとオレンジ』 では、
様々な視点から見た像を 画面に混在させて 描いており、
この手法は ピカソらに影響を与え、
それが、ピカソとブラックが中心となって展開した
キュビスムへと 発展してゆく。
 
また、セザンヌは、りんごと同じくらい多用した
モチーフであるサント・ヴィクトワール山を、
直接的でなく、そのシルエットを用いるようなかたちで、
たびたび作品に登場させた。
『りんごとオレンジ』 にも、寄せたテーブルクロスのシルエットとして現れている。
 
セザンヌは、静物を、毎日違う表情を見せるもの として 位置づけていた。

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美の巨人たちのことを語る

今ではセザンヌ一色のエクス・アン・プロヴァンスだが、
生前の彼は この街では 嫌われていたという。
 
当時 貴族階級が残っていたこの街では、
帽子屋から銀行家になった セザンヌの父は、
成り上がりだとして、白い目で見られていたのだという。
画家となったセザンヌも、街では変わり者だと思われ、
そのため画家の死後は、親族はここを引き払ったという。
 
セザンヌ家が この街に戻ったのは、結局、
画家セザンヌの ひ孫が 12歳になったときであったという。

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美の巨人たちのことを語る

セザンヌの出生地、フランスの
エクス・アン・プロヴァンスの街は、まさにセザンヌ一色であるという。
 
駅の出口は ”セザンヌ口” と名付けられ、
地面の セザンヌの名入りプレートをたどれば
彼ゆかりの場所へ行けるようになっていたり、
映画館は ”セザンヌ座”、 セザンヌホテルもある。
(ちなみに、番組内で映った この映画館は、ちょうど
『ガフールの伝説』 上映中の頃だったようだ。 ポスターが映っていた。)

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今週は、ポール・セザンヌでした。
今日の一枚は、オルセー美術館所蔵の 『りんごとオレンジ』(1895頃)。
 
多くの画家に影響を与えたセザンヌ自身は、
ルーベンスを もっとも尊敬していたという。
 
”近代絵画の父” と呼ばれるセザンヌは、
生涯200枚以上の静物画を描き、その多くが
りんごを モチーフにしたものだった。
彼は、「りんごでパリを驚かせてみせる」 と言った。

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作家ジョルジュ・サンドは、ショパンの恋人であった。
 
ルーヴル所蔵の 『ショパンの肖像』 と、別のところにあるが、
同じくドラクロワの描いた 『ジョルジュ・サンドの肖像』 は、
もともと 一枚の絵として構想されたものだったという。
 
ショパンとサンドは9年で別れ、その2年後ショパンは死んだ。
親友ショパンを失い、ふたたび孤独に陥ったドラクロワ。
ふたりを一枚に描いた肖像画を、手放すことはなかった。
 
しかし ドラクロワの死後、画商の手に渡った この絵は、
”ふたりを別々にしたほうが 高値で売れる” という理由で、
切り離されてしまったと 言われているという。
 
ドラクロワは、 ”400年先まで仕事が残っている”
という言葉を遺して 死んだ。

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非常に荒々しい筆致で描かれた 『ショパンの肖像』。
ほかの画家の描いたショパンとは ずいぶん違う。
 
甘さのある表現で描かれることの多かったショパンを、
モデルを前にした時に感じた印象が 画面に表れるよう、
筆の跡を残し、情熱などの心情までも 表そうとするかのように、
ドラクロワは 描いたのではないか、という。

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美の巨人たちのことを語る

今週は ウジェーヌ・ドラクロワです。
今日の一枚は、『ショパンの肖像』(1838)。
 
ルーヴル美術館所蔵の小さな肖像画。
『民衆を導く自由の女神』(1830)などでも よく知られる画家である。
 
ドラクロワは、ショパンと親交が深かった。
2010年は、フレデリック・ショパン生誕200年である(10月17日が命日)。

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美の巨人たちのことを語る

デューラーといえば、あの有名な自画像をはじめ、
驚異的な技術力と繊細な描写、というイメージが強いが、
以前読んだ本に、実は 非常にお金に細かかった、という話が載っていて面白かった。
 
旅行中、何にいくら使ったかを細かく記録していて、
そもそも その旅行自体が、自分の作品に支払われるギャラを
もっと上げてほしい、と直談判しにいく旅だった、
と 書いてあったように記憶している(記憶違いだったら申し訳ない)。
 
 
今日 番組で紹介された、そんな デューラーの言葉 :
”芸術は自然の中にあり、それを探しあてられる者だけが、芸術に生きることができる。”

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美の巨人たちのことを語る

野生の野兎が そんなに長い間 モデルとして目の前に
いてくれるはずもなく、アトリエで描かれたのだろうという 『野兎』。
 
そして、アトリエで描かれた証となるのが、野兎の眼である。
野兎の眼の中に映りこんだ窓枠までもが 描かれているからである。

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美の巨人たちのことを語る

イタリアへ 絵画を学びにいったこともあるデューラーは、
レオナルド・ダ・ヴィンチに 傾倒したという。
人体の様々な比率の研究、博物学的な視点で描いたデッサンの数々。
水彩画の代表作の一枚である 『草むら』 は、余りに
精緻を極めた描写のため、現代でも なんの植物が描かれているか特定できるという。

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500年前の水彩画でありながら、現代まで
驚くほど美しい状態で保たれてきた デューラーの 『野兎』。
これは、かつて皇帝のコレクションだったため、
日に晒すこともなく、非常に慎重に扱われてきたためだという。