ブリューゲルの生年は 不明である(没年は1569年)。
ベルギーはアントワープの、画家組合の名簿に
書かれた その名で、初めて歴史上に登場した。
この 『イカロスの墜落の風景』 がロンドンで見つかり、
1912年に 故郷ベルギーに戻った時には、
ベルギーを代表する画家の作品が戻ったと、国をあげて喜ばれたという。
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美の巨人たちのことを語る
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10月は、4週連続、ミステリー絵画シリーズ。
今週は、ピーテル・ブリューゲルの作品であると伝えられている
『イカロスの墜落の風景』 です。
ろうで固めた鳥の羽根で飛び立つも、太陽に
近づきすぎて墜落したというイカロスの、
有名なギリシャ神話を 題材としている。
しかし。 まるでイカロスが主役に見えない この作品。
イカロスは、画面のすみで 海に墜ちている。
墜ちるイカロスを、農夫も羊飼いも、誰も見ていない。
― なぜ、こんな イカロスの神話を描いたのか。
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フォンテンブロー宮殿で見つかったルーヴル版は、
1625年当時、この宮殿に飾られていたことがわかっているという。
それは、ルイ14世の在位中。
あくまでも "確証のない話" として 番組内で紹介された説は―
ジャンヌという名をラテン語読みにすればヨハンナ、その男性名はヨハネ。
王の子を産めないなら意味がないと、ルイ14世が
遠ざけたことのある女性の名がジャンヌだった。
しかし内心ではジャンヌを思っていた王は、この絵を手に入れ、
レオナルドに 大天使ガブリエルが洗礼者ヨハネを
さししめすように描き直させ、この絵をジャンヌ(=ヨハネに重ねた)に
ささげたのではないか、とする仮説である。
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制作後、代金等をめぐって、25年ものあいだ裁判になった 『岩窟の聖母』。
最近になってからの解析でわかったことによると、
ルーヴル版の大天使ガブリエルの手や顔の向きは、
25年の裁判のあいだに 描き直されたものだったという。
つまり、最初は、天使の顔の向きは
ロンドン・ナショナル・ギャラリー版と同じで、
洗礼者ヨハネをさす手も 描かれていなかった。
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10月の美の巨人たちは、ミステリー絵画シリーズ。
今週は レオナルド・ダ・ヴィンチです。
今日の作品は、ルーヴルとロンドン・ナショナル・ギャラリー、
2枚の 『岩窟の聖母』。
ルーヴル版では 大天使ガブリエルがその手で幼き洗礼者ヨハネをさししめし、
ロンドン・ナショナル・ギャラリー版には ルーヴル版にはない光輪とヨハネの杖―
はたして、どちらが先に描かれたのか。
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今週は ヒエロニムス・ボスでした。
作品は 『快楽の園』(1510年前後)。
もはや美術館の存在そのものが スペインの至宝と
言えるであろうプラド美術館に、この ボスの代表作はある。
伝統的な形の 三連の祭壇画であり、祭壇の扉を開いた時、
左に天国、中央に現世、右に地獄が描かれているのも
伝統に則った描き方だが、奇想あふれる現世や地獄の情景は、
ボスでなければ発想できない、とすら思わせる独創性である。
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来週は ヒエロニムス・ボスの 『快楽の園』。
かなり楽しみーー
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夏の恒例、 "日本の建築シリーズ" Vol.4
今週は、 『日光東照宮 国宝 陽明門』 です。
徳川秀忠、家光の時代に完成。
豪華すぎるほどの装飾、それを手掛けた
当代きっての大棟梁と天才絵師の、
並々ならぬ気合いの入った力作。
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モーガンが日本に建てた自邸(数年前に火事にあい、
現在修復を待っている)は、和洋折衷で、モーガン自身の設計。
外観は、日本の瓦を使いながらも 煙突もあるという不思議なスタイル。
内装も、スパニッシュ様式を取り入れた部分もあれば、
日本のものも取り入れている。
そしてモーガンは、故郷アメリカに帰ることなく、日本で その生涯を終えたという。
自らの邸にまで 日本建築を融合したモーガンが、
いかに日本を愛してくれたのかがわかる。
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モーガンが設計したベーリック・ホールの主であるベーリック氏は、
文具や化粧品を輸入、日本からは和紙などを輸出して富を得た
イギリス人だという。
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建築技師として日本に来たJ.H.モーガンは、
ひとりの日本人女性と知り合って 日本文化に触れて
日本びいきとなった。 日本建築に住んで、
家にいる時は 普段着として着物を着ることもあったという。
関東大震災後の横浜に事務所を移した時も、
その女性が通訳兼秘書として仕事をした。 ふたりはその後も共に生きたという。
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美の巨人たち 夏のおなじみ、"日本の建築シリーズ" Vol.2
今週は、J.H.モーガン設計の 『ベーリック・ホール』 です。
1920年、東洋一の巨大建築、日本最初の高層ビルである
"丸の内ビルヂング" 建築の 施工担当者として、
アメリカ最大の建築施工会社の技師長という立場で
日本にやってきたJ.H.モーガン。
彼がのちに ここ日本で設計したベーリック・ホールは、スペインの様式だった。
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誰でも見学できるとは言っても、国会議事堂
見るためだけに 東京まで行くのは遠いよなぁ@大阪
(´ー`)。o 0 ( 旅費が・・・ )
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国会議事堂、計画から完成までに55年かかったのだとか。
仮議事堂の時代が長く、なかなか建設に取り掛かれなかったらしい。
ひとり建築家が決まると、別の建築家が コンペにすべきだと
言いだし、心労のせいかひとり目の建築家が死去。
コンペが始まると、今度は コンペにすべきと言い出した建築家も死去。
さらに、コンペで一等に選ばれた案を提出した建築家も死去したという。
結局、合同チームで建設してゆくこととなり、
コンペで一等になった案とも かなり違う形になっているのだとか。
そのため 国会議事堂は、この建物を 誰それが設計した、
というふうに ひとりの建築家の名前をあげることができないという。
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今週は おなじみの 日本の建築シリーズ、
作品は 国会議事堂です。
おひょいさんが出てる。
美の巨人たち建築シリーズの案内人、
モデュロール兄弟は 出てこないのかな?
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『アテネの学堂』 で、古代ギリシャの偉人になぞらえて
同時代の偉人たちを描きこんだラファエロだが、
彼は、当時ライバルでもあったミケランジェロを、
当初の下絵にはなかったにも関わらず、ヘラクレイトスに
なぞらえて あとから描き加えている。
ラファエロは、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の壁画を
描いている時、ミケランジェロが席を外した隙に
その制作過程を見て、衝撃を受けたことがあるのだという。
ミケランジェロの、人体(筋肉)をダイナミックに描く
画法に影響を受けたとみられる作品も残しているという。
そして、『アテネの学堂』 にあとから描き加えられた
ミケランジェロは、確かに、ミケランジェロ様式とも言える
描き方をされているのだという。
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古代ギリシャの偉人を描いた 『アテネの学堂』。
しかし、レオナルドに似せて描かれた人物や、
ラファエロ本人の顔まで。
ラファエロは、同時代のルネサンスの偉人たちを、
古代の偉人になぞらえていたのだった。
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今週は、ラファエロ・サンツィオです。
今日の作品は、『アテネの学堂』(1509-10)。
ヴァチカンにある、巨大なフレスコ画。
神学、法学、詩学、哲学をテーマに、四面の壁に
描かれた(今日の作品『アテネの学堂』のテーマが哲学)。
古代ギリシャの名だたる偉人たちの姿を描いた、壮大な作品。
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”私は、真実より少し隔たったものを好む。
真実は、時に 真実らしく見えないことがあるからだ。”
と、アングルは言ったという。
ラファエロが描いた聖母マリアをイメージして
描いたのではないかと言われる その顔、
そして、背中や腕も、ひとりのモデルを描くのではなく、
美しいと思える体を いろいろ組み合わせて描かれた
『グランド・オダリスク』。
このコラージュ手法は、ピカソら キュビストから
注目され、彼らの表現に取り入れられた。
アングルは、20世紀に入ってから、こうして再評価された。
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肖像画では、画家としての腕を思う存分生かし、
技巧を凝らして 写実的にモデルの顔を描いたアングル。
一方、裸体画で描いた女性の顔に関しては、
人形のように理想化した顔を描いた。
そして、『グランド・オダリスク』 では、
彼の愛するラファエロが描いた、聖母マリアを
モデルとして その顔を描いたのではないか、というのである。
/美の巨人たち