お話しするにはログインしてください。

|

Tips:スクワットは、回数を急に増やすと膝を痛める。調子を見ながら少しずつやってみよう。
id:muimoi
城郭写真のことを語る

犬山城に来ました。
小さめなお城ですが、天守閣からの眺めが素晴らしい。
木曽川〜♪( ´▽`)

id:k-holy
城郭写真のことを語る

3回めの備中松山城、行ってきました。

相変わらず石垣が素晴らしいです…。

この右側の岩盤には亀裂が見つかっており、京都大学防災研究所の変動監視システムが取り付けられていて、20分間隔で岩盤斜面の動きが計測されているそうです。
山上にある文化遺産の監視・保護技術開発のための貴重な試験地になっているとか。

特徴的な唐破風出窓を横から。
[全文を見る]

id:sayonarasankaku
城郭写真のことを語る

小田原城

id:k-holy
城郭写真のことを語る

姫路城

id:k-holy
城郭写真のことを語る

関ヶ原合戦後は宇喜多秀家に替わって小早川秀秋が入城しましたが、石垣の積み方で小早川がdisられてて面白かったです。
「秀家は安定性の高い大型の石材をきちっと積んでいるのに対し、秀秋は丸みの強い石材を粗雑に組んでいる」

秀家さんの作品

秀秋さんの作品

id:k-holy
城郭写真のことを語る

岡山城

岡山には何度も来ていますが、間近で見たのは初めて。板張りの黒い天守。

今の城はほとんどが近世の池田氏時代のものですが、城と町の基礎を築いたということで、宇喜多氏をリスペクトされてるようです。

昭和41年に復元された鉄筋コンクリート製の「不明門」
[全文を見る]

id:k-holy
城郭写真のことを語る

お菓子の壽城(`・ω・´)

id:k-holy
城郭写真のことを語る

4年ぶりの竹田城址は初めての早朝訪問でした。

結構な数の観光客が来てて、天守台はお立ち台みたいな状態。


人多すぎて落ち着かないし、石垣愛を存分に発散することもままなりませんでしたが、景色は良かったです。

id:ckagami
城郭写真のことを語る


ゴールウェイのショッピングセンターは、掘ったら城郭が出てきてしまったらしく、それを生かしたつくり。

id:ckagami
城郭写真のことを語る


<はじまるよー

<お歌だよー
(CDも出してるとか。まんなかのおじさんが執事役)

<肉もナイフと手でのみ食べるよー

id:ckagami
城郭写真のことを語る


リムリックからシャノン空港行きのバスで20分程度、ボンラッティ城
15・6世紀あたりの晩餐会を再現したディナー(フォークとすプーンは使えません。p歌とハープとフィドルつき)

フィドル弾きがキャラが立ってて面白かった。ただし英語の冗談はわからず。

id:ckagami
城郭写真のことを語る

アイルランド、リムリック、ジョン王の城。


id:ckagami
城郭写真のことを語る


アイルランド、トリム城。

id:happysweet55
城郭写真のことを語る

matsumoto-joe now.

id:k-holy
城郭写真のことを語る

城郭っていうか城跡ですが、月山富田城

id:hide-psy
城郭写真のことを語る


伊丹市 有岡城跡地

id:kaimu29
城郭写真のことを語る

昨日の写真。
ゆいレールで首里城へ。
なぜかイケメンくんが案内人でした(笑)

id:k-holy
城郭写真のことを語る

久しぶりに赤穂城址みてきました。
縄張り的には変形輪郭式の海岸平城という珍しいものだそうです。



小藩にしては大規模ですが、それだけ製塩事業が儲かってたのでしょうか。
(元禄赤穂事件の幕府陰謀論のひとつに、幕府が赤穂の塩を狙ったのが発端という説もあるそうで…)

id:k-holy
城郭写真のことを語る

沖縄県うるま市にあります、勝連城跡。
中城城跡と同様、世界遺産に登録されていますが、100名城には数えられていません。
が、個人的には景色の良さと石垣の美しさでは勝連城の方が気に入りました。
尚泰久王の娘・百度踏揚を娶り、勝連半島を統治した按司・阿麻和利の居城で、中城城の護佐丸を討伐した後、首里城攻略の野心を抱き逆に討伐されたとのこと。
地元では海外貿易で勝連を栄えさせた英雄として伝わり、古謡にも歌われているほか、「肝高の阿麻和利」というミュージカルにもなっているそうです。



曇り続きでしたが、この時は少しだけ青空が出てくれました。

id:k-holy
城郭写真のことを語る

沖縄県北中城村・中城村にあります、中城城跡。
石垣に囲まれた6つの郭からなる山城で、2000年に世界遺産に登録され、日本100名城にも数えられています。
琉球王国第6代の尚泰久王の外戚(王妃の父親)で、築城家としても名高い猛将・護佐丸の居城で、1458年、首里王府への反逆を企んだかどで、勝連城の阿麻和利に攻め滅ぼされたとのこと。(護佐丸・阿麻和利の乱)
※護佐丸・阿麻和利の乱については阿麻和利の野心によるものだとか、首里王府の陰謀だったとか、諸説あってよく分かりません。

この立地にこの規模の石垣、素晴らしいです。


独特な美しいラインも見所。
1853年に訪れたペリー提督一行も、この城の精巧な石積技術を絶賛したそうです。