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ホリィ(新人)のことを語る
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2012年


福徳長酒造は1953年株式会社化、1967年に灘誉酒造株式会社に合併とのことなので、この間に建てられたものか。

三遊亭金馬、小金馬。3代目と4代目とすると、3代目が亡くなった1964年以前?
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荼枳尼天法を伝えた伏見稲荷本願所の愛染寺は、応仁の兵火からの再建に活躍した勧進僧の本拠地として発展したものですが、江戸時代は京都奉行の保護を受け幕府との関係が深く、幕末には桂小五郎を匿うなど攘夷派に肩入れした神主家とは対立していたこともあり、明治維新後は廃寺されています。
(三天和合尊像は東寺が所蔵していますが、この時に持ち出されたものでしょうか。)

神仏習合時代の吒枳尼信仰を伝えているのが、いわゆる「仏教系稲荷」の豊川稲荷(妙厳寺、曹洞宗)、最上稲荷(妙教寺、日蓮宗)になります。
最上稲荷は元々天台宗でしたが、高松城の戦い後に入城した花房正成が熱烈な法華門徒だったため、改宗し(させられ?)てます。

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昨日、中央図書館で借りてきた1冊
中村陽 監修『イチから知りたい日本の神さま2 稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて』(戎光祥出版)

お塚が建てられるようになったのは、七神蹟が定められた明治以後のことで、昭和初めには約2500基、昭和41年には7762基にまで増えているそうです。つまり、稲荷信仰1300年の歴史では割と最近のことだという。
稲荷大社の神道が神仏分離政策の影響を受けたのに対して、このお塚信仰を「庶民による自然神信仰の再生」として、稲荷山全体が二重三重の信仰構造を持つことを象徴するとの説明が面白いです。

本来農耕神であった稲荷神が、…[全文を見る]

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( ´-`)。o 0(…あっ…819…)

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2011年、この時も途中から参道から外れて滝場巡り

弘法ヶ瀧へ

ここはもうお塚もこんな感じで…

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今更ながら、実は武田信虎の再評価というか『甲陽軍鑑』からの脱却は、一般レベルでもかなり進んでいたみたい。
『武田信虎のすべて』が2006年、大河ドラマ『風林火山』が2007年。
大河ドラマに合わせて出版されたと思われる本でも、暴君説に対する否定的な意見が結構書かれてました。

この記事が面白いです。信虎をテーマに自転車で巡ってる。
武田信虎の戦いー甲斐統一までー
http://bunmeitansaku.com/notes/949

こちらは最近の記事ですが、産経の記者コラム。こんなところにまで信虎が…。
武田信虎(上)信玄の父、「追放」の人生を楽しむ
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140428/wlf14042816300007-n1.htm
武田信虎(下)糾える縄…信玄より長寿30年「戦国の楽天男」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140508/wlf14050816300012-n1.htm

他の良い記事を知ってしまったら、ブログの続きが書きづらくなります。

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台風がきた。さてあなたは何をする?
強い台風が来たら船は岸壁に留めておけないので、沖に出て錨泊しなくちゃいけなかったり大変なのです。
当然当直員だけでは動かすには人が足りないので、時には長期休暇で旅行中に台風きちゃって、泣きながら戻るようなケースもありました。「24時間勤務」と言われる所以です。
以上、JK豆知識「台風避泊」でした。

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【速報】『武田信虎のすべて』によると、永正5年に信虎(信直)方に討たれたおじさん・油川信恵の子は弥太郎、珍宝丸【知らんがな】

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やってまうわな

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同じく2009年の夏

熊鷹社近くのお塚にて、お参りしている方を初めて見ました。ここには不動さんがあって、柏手じゃなくて真言唱えてました。

熊鷹社は結構各地に勧請されてるようですが、由来はよく分かりません。元々は真言宗の神様のようですが…。

この時は鳥居のある参道からちょっと離れて、末廣滝へ向かってみました。
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なんで久しぶりに伏見稲荷にお参りしたのかというと、子供の頃によく祖父に連れられて行った思い出の場所を巡ろうと考えたのでした。
幼少時に稲荷山を上ったのかどうか思い出せなかったんですが、その面白さにすっかりはまってしまい、年1~2回くらいのペースで通うことになったわけです。

奥社から熊鷹社へと抜ける鳥居。

この辺からすでに、ちょっと道を外れたら神道系っぽい新宗教?の本部とかあって不思議。
麓にも大日本大道教とかあるんですが、これ山の中なんですよね。どういう経緯なのか…意外と神仏習合の頃から続いてたり?

本宮祭に行きだしたのは2009年から…[全文を見る]

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伏見稲荷大社
2008年に二十数年ぶりに訪れた時の写真。

千本鳥居も当時はまだ平常時はこんな感じでした。今は外国人観光客が激増して、他に人が通らない瞬間がないくらい。

熊鷹社近くのヤエコ姫大明神。

こっちが今の。金色になってる…。
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軍師官兵衛
光秀は最後、竹藪の中で「金髪豚野郎!」とか罵られながら落ち武者狩りに遭って死ぬらしいよ。

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この板垣信方も、結構怪しい人物なんですよね。何がって『軍鑑』での描かれ方なんですが。
和歌に興じる晴信を諌めたエピソードなどあからさまに「忠臣」と強調されてますが、当時の筆頭宿老で信虎追放を主導したのは確かなようで、晴信の諏訪攻め後は諏訪郡代を務めたものの、やがて増長が目立つようになったとかで、上田原の戦いで突出して油断したところに村上義清の逆襲を受けて戦死したことになってます。
で、子の信憲は晴信の不興を買って処断されてるんですね。
流れを見ると、大きくなりすぎた板垣氏の権力を削ぎたかったんじゃないのと思うのです。

ちなみに信方…[全文を見る]

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でも信虎が追放されたのって、いかにも唐突に打ち切り-第一部完- みたいな感じがするんですよねー。
今川、諏訪、村上と同盟結んでこれからって時に…。

丸島和洋氏は、板垣信方主導による今川義元との共謀説を有力視しているようで、河東一乱に介入した信虎が北条氏の和睦を受け入れたことが義元の不信を招いたとしており、これはなかなか説得力を感じます。

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のろのろと1ヶ月使って書きました。アイキャッチ画像間違えたので手動更新通知です。
記事タイトルはいいの思いつかなかったのでヤケクソ気味に…。