【逃避活動】
ホラー映画を苦手だとおっしゃる方が意外に多く、ホラー好きの私は、たまに、なんでそんなにホラー映画が好きなの、と訊かれることがある。
子供の頃は、確かに怖かった。怖い話とか見てたけど、怖いもの見たさで見ていたので、まったく平気というわけではなかった。布団を頭からかぶって見たりしていた。 それがなぜここまで平気になったのか。
ちなみに、“ここまで平気” の ここまでとは、真夜中にひとりっきりで暗い部屋でホラー映画見ても平気とか、そのあと怖がりもせずに平気で風呂入るとか、ひとりでレイトショーでホラー見ても帰りの夜道平気(大阪…[全文を見る]
人間、自分が人に対してしたことや言ったことは、結局覚えてない場合が多い。 あれは、発した側というのは、そこからたいした影響を受けていないから、ということだろうか。受けた側には、良くも悪くも何らかの影響があるけれど。その言葉なり何なりが、相手に対してどういう影響を及ぼすかわからない、というより、所詮はわかりようがない。
人ってのは、必ず誰かしら他人を踏みつけて生きてるわけですから、偉そうなことは言えんものじゃなかろうか本来は。
差があからさまという状態は、現実を見せるのに有効なのか、ただただ無慈悲なのか。
ゴミとかを捨てるついでに自分自身も捨ててきたい。 無価値すぎてもういらん。
人間なんて業の深いもんですなっていうか業しかないか。 勝手なもんです、私も含めて、すべてが。
また余計な確認をしてしまった。 しかも、それが余計だということがわかった上で、である。 もう私のこの馬鹿さかげんは死なないと治らないレベルだと思う。 これじゃ自ら地雷を踏みにいったようなものだ。
ずーっと不思議だったのが、日常生活にいろいろな拘りを持って、物にも凝って、細かいことにも気を配ってる人っていうのは、なぜ、何か悩みがあるような時でも、ふだんのその状態を保っていられる(ように見える)のか、ということ。
いや、そういう人に言わせれば、実際は違う、と言うのかどうか知らないけども、私の場合、何かあると、それに全てを振り回されてしまって、日常生活に凝ったりなんてことは、とてもじゃないが出来なくなる。 物に凝るとか花を飾るとか装飾するとか(これらはあくまで例えだけれども)、そういう心の余裕は一切なくなり、最終的に死にたくなるま…[全文を見る]
わかりきってることに対して、もはやする必要のない確認をするのがよくない。
自分が馬鹿なんだということは重々わかってるんだけども、もうまったくの別人というくらいにまで考え方が変わらない限りどうしようもないこればっかりは。 馬鹿につける薬はないとはよく言ったもので、その馬鹿とはまったくもって自分のことであるああ別人になりたい。
気づかんでいいことにまで気づくっていうのは、しんどいだけですね。
【勝手に引用】
男は 振り返って 虚無を見た
「ベルリン・天使の詩」1987年 西ドイツ=フランス/監督:ヴィム・ヴェンダース
人間は、“外側” に惑わされる。 その視点を変えることは非常に困難であり、自分が本質を見抜けていないという事実に気づくこと自体、容易ではない。
「トランスフォーマー ロストエイジ」、もっかい見に行きたい。
【今日もお疲れさま!】
今日はお昼から、総勢6人でカレー屋さんに行き、その後飲んでおりました皆さんどうもありがとう。 ただ、私の場合、1本目に缶ビールをあけ、2本目の缶チューハイを飲んでる途中で完全に酔いがまわってしまい、頭痛と眠気に襲われてその場で寝る、という失態をやらかしてしまいましたが、そのおかげで、なんとか帰ることが出来るくらいには回復しました。
(だ)さんによる今日の名言:
「知らんおっさんより知ってるメガネ」
今日はありがとうございましたー。