私は母親のアメリカの豊かさ・憧れという物差しや言動にイラッとくるし、
韓流とかをばかにする態度をみて
現状無視の幻想趣味って言っていることが多い。
でも、アメリカのシャーマン戦車がイスラエルの魔改造に耐えたり、
キューバでアメ車がロシア車のエンジンなどを積んでも走っているのを
見ていると、その昔のアメリカは力があったと思う。
こういった話や資料を見ていると、アジアに鈍感で、欧米と日本の比較に終止していている
母親を攻撃するのをバカバカしくなるけれども、気持ちが追いつかないときがある。
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私は漸進的に天皇制を消滅することを肯定しているので
母親の天皇制に関する批判には肯定的ではある。
しかし、許せないと思うものがある。
天皇制批判の代償として背負い込んだ、「進歩」、「科学の発展」
「現代主義の盲目的な信奉」、「アメリカの豊かさ・憧れ」という考えが
年寄りくさい。魔法を信じない人間の魔法みたいに受け取ってしまって怒りを感じる。
母親は韓流とかも苦手なので、その母親の憧れや夢の国みたいに思っているものを
突くと、「私達はそれしかなかった、歐米への憧れしかなかった」と大騒ぎをして
自分を悪者にして怒られたことがしばしばだった。
「アメリカの豊かさ・憧れ」という感情はある一定の人間ならば持つけれども、
私は「アメリカの豊かさ・憧れ」という物差しは全く存在しなかった。
私が韓流やインド映画に走らせた遠因はそこにある。
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さるブロガーさんが、自身が確認している鯖で、家族で"sasuke"
を見ている話題がupされていた。
私はこれを見て、「羨ましい」だった。
家では民放の年末番組を無理やり紅白にされてしまって、いつも
無理やり見せられて、苦しい思いをしている。
母親は「一緒に楽しもう」と思っているから怖い。
私はドラえもんまつりを最後までみたいのにと幼い頃思っていた。
だから、"sasuke"を最後まで見ている家庭は羨ましい。
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また、鎌倉殿の13人。
後鳥羽上皇は誰がやるのか。しぞうさんをやった人だろうか。
それとも堺雅人だろうか。
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大河「鎌倉殿の13人」、頼朝役に大泉洋、義経役に菅田将暉らしいけれども、
菅田将暉、
他の企画より「直虎」の続編の井伊直政役で薩摩藩と衝突したり彦根城を作るのを
見ているシーンが見たかった。
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facebookで、高校時代の知り合いが二人で久しぶりに出会ったようだった。
人生の縮図みたいなものを感じたようだった。
その中のひとりは、選択でのハングルをとっていたのだが、
私はその人が羨ましかった。
私は輕口で「選択でハングルがあるんだって。」と親に言ったものだが、
「そんなものファッションでやるのはやめなさい。カルチャースクールで
いくらでもできるじゃない。」
と強く反対された。
逆に親に英文法を進められたが、親に無理やりやらされている、
ニューヨークに魅力を感じなかった自分にとってはいわゆる苦しかった。
ここで英文法を取っているクラス…[全文を見る]
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私は母親のロシア批判や天皇制批判にはある程度寛容に接してきたが、
「アメリカの豊かさ・憧れ」
という感情には、年々共感できないと思うようになっている。
人に嫌惡感を与える存在よりも、人に憧れのイメージをもたせるもののほうが
嫌な気持ちがするときがある。
ある一定より下の世代は
ある世代の
「アメリカの豊かさ・憧れ」
を押し付けられて、悩んできたのではないか?
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そういえばつい先日、女王の教室という単語が話題になっていたけれども、
1980年代、私が幼稚園から小学校の中學年頃1960-70年代のアニメや特撮が
再放送され、クラスの口コミでこういったリアルタイムから10/20年前に放映されていた
企画を話題にしていたけれども、女王の教室が初公開されていた
時代に生まれていなかった子供や若者にとっては、1980年代、僕らが1960-70年代の
「田舎っぺ大将」や、「妖怪人間ベム」を話題にするのに近いのかもしれない。
意外と若い子も再放送の「大昔」のドラマやアニメや特撮って視聴できる人は視聴するんだね。
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大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞したときも、ある一定よりあとの
ノーベル文学賞受賞作品
って読んだことがないよね。みたいなマスコミの情報誘導があった。
みなさん
オルハン・パムク
って読んだことあります。
シェイマス・ヒーニー
って知ってる?
って言いたい。
イェイツやトーマス・マンが書店や図書館の目立つ場所に置かれていることが
あって、「知ってる歴史の知ってる物語」って感じだけれども
オルハン・パムクやシェイマス・ヒーニーの書籍が
書店や図書館の目立ない場所に置かれているケースばかり目立つ。
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ノーベル文学賞、また、村上春樹氏受賞できませんでしたね。
またアメリカの訳のわからない詩人にあげていたようですが、
ここ2/30年のノーベル文学賞受賞者の書籍って
あまり読まれていないような気がする。
ノーベル賞じたい、「北里大學」、「グレタ・トゥンベリ」といった
社会活動に興味がありそうだったり、理系の人といった研究者や活動家とかの
水準に合わせて彼ら受けしそうな人をノーベル文学賞にあげているような気がする。
大江健三郎氏が受賞したときも、ここ最近のノーベル文学賞受賞者の書籍
を読んだことがありますかと問いかけがマスコミでされていた。
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東村山に、志村けんの銅像を作る考想が動き出しているようだ。
肯定も否定もしない。
だけれども、東村山、我が郷土という思想が、
志村けんの最晩年から、死んで間も無い時代に芽生え始めているのかもしれない。
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20年くらい前、インターナショナルスクールの記事でこう書かれていた。
「男は家族を養わなければいけないので、日本の大学をでて日本企業に
入らなければいけないという傾向がある。だから男に
インターナショナルスクールは奨められない。」
みたいな記事を発見。
日本人男って、義務感を背負わせるよね。
成田離婚の背景だよ。
ヒトコト
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母親は、弟のことを「親不孝者」というが、
沢山の友達に囲まれていて、人生を充足させている。
オンラインゲームの被害があるけれども、
大量に存在するリアルな友達がすべてを守ってくれているようだ。
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金曜ロードショーで、「聲の形」、「君の膵臓をたべたい」を視聴していた
時代に考えていたけれども、映画やアニメだけじゃなくて、殺人事件の
起こらない2時間ドラマって出来なかったんだろうか。
今挙げた上記2作品みたいなエピソードの2時間ドラマってどちらかと言えば、
連ドラ、朝ドラに持って行かれる率が大きいように思える。
でも、2時間ドラマの可能性を大きくするためにもお約束ばかりはだめなんだよ。
我が家では、2時間ドラマがタブー視されて、強い圧力をかけられることが多かったので、
自然と見なくなってしまった。お約束にこだわって、視聴者をイライラさせたのは
戦国や幕末にこだわった大河ドラマに近いけれども。
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關東人・東京人にとって故郷とはなんだろうか。
20年くらい前の女子大生殺害事件の話題をテレビでやっていたが、
城東の人で、「関東で郷土性を誇っていいのは、城東だけだ。」
みたいな傲慢を感じた。
私は城東地方だけではなくて、櫻新町も、高島平も郷土だと思う。
城東は江戸っ子という物差しだけではなくて、彼らが
近現代の過程で背負い込んだ「家の事情」を江戸っ子とごっちゃにして
考えるので、彼らの考えだけを言うべきでない。
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私はある程度上の世代の、アメリカのホームドラマを見て
憧れたという気持ちが全然わかないんだよね。
なんで、アメリカの映画の風景を見て、憧れたとか
夢の国をみたとか思うんだろう。
自分の世代の映像の魔術師みたいに言われている、スピルバーグや
ジョン・ラセターの企画を見ても、すごいと思う半分、半分
白けた感じ半分なんだよね。
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今、Wikipediaでアラン・プロストの資料を見ていたけれども、
彼と同時期に活躍したf1ドライバーを「四強」、「四天王」
と言っている表現を見た。おそらく日本のマスコミだと思うんだけれども、
時代が下って、昨今のテニスでもナダルやフェデラーという単語をしばしば
日本のマスコミでも、聞く。サッカーでもサディオ・マネとかルカ・モドリッチ
という言葉も聞く。その昔のf1でも、昨今のサッカー・テニスメディアでも
「世界最強のxx」とか、「最恐のxx」みたいな海外の選手の報道をするのに、
野球ではダルビッシュの話題などが並ぶ。そして、誰と戦っているのか
わか…[全文を見る]
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やっぱり、右寄り保守が怖いって思ってしまう右寄り保守反対派
が多い。いまmixiに資料を貼るためにTwitterを開いたが、
ネトウヨが岸井成格を死屍に鞭打つ一歩で
あの安倍が死んだときに悪口雑言を言う人を叩くなみたいな記事を発見。
怖くて無視したが、この手の右寄り保守への恐怖感を
煽る記事がここ20年ぐらい多い。どのくらい右寄り保守を操り
危うい方向に導く力を持っているのだろうか。
今の右寄り保守が自衛隊にクーデターを促す力があるとは思えない
という人もいた。
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サンデーモーニングを攻撃しているネット世論について
張本勲は、そんなものを気にしていないという。
同じようなことを感じるのは、佐高信がやたらと、
自著で、北野武を攻撃している。
北野武氏は、あまり気にしていないようだ。
ネット世論も佐高信も同じことをしている。
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韓国映画「パラサイト」受賞より少し前、北野武映画の金賞受賞を
阻んだのは、韓国のフィルムクルーの作品だった。
これと、Parasiteに関して思ったのは、韓国のサブカル界隈では
日本のサブカルに例えると、
「韓国の北川悦吏子」
的な脚本家やプロデューサー、
あるいはスタッフとして、
上原正三みたいに、地味だけれども、面白いエピソードは
彼がスタッフとして携わったエピソードだったという働きをする人、
大河原邦男みたいにスタッフとして呼ばれると、いい仕事をする人、
あるいは音楽方面で、小林亜星や久石譲、服部克之みたいな働きをする人
が存在するのではと思ってしまう。
台湾では、そういう働きをする人はいるのかな。