「やっといたほうがいいんじゃない?」「やんなくていいの?」とは言われたことあるけど、「やればできる!!」って言われた記憶ない。親にも先生にすらない。
やってることを誉められはするけど、出来なかったら出来ないで、ドンマイみたいな感じでした。完全に適当な扱いの末っ子…。
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「やっといたほうがいいんじゃない?」「やんなくていいの?」とは言われたことあるけど、「やればできる!!」って言われた記憶ない。親にも先生にすらない。
やってることを誉められはするけど、出来なかったら出来ないで、ドンマイみたいな感じでした。完全に適当な扱いの末っ子…。
そうだと信じたい。
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。
成らぬは人の為さぬなりけり」
CMで「やれば、できる」と聞いたとき、素直にそうだなと思ったけど、四十九日のレシピで、できないこともあるよねというシーンが妙に心に残った。
やってもできないこともあるけど、物による、程度による。でも、やると決めたら悔いなくやった!!と言えるくらいやりたい。
やるのはしんどくてたまらないけど、それを乗り越えた人はちゃんといるんだよね。
「お前なんかがいくらやっても無駄だ。お前がでしゃばったら、お前だけではなく周りの人まで恥をかかされる。余計なことを考えるな。余計なことをするな。」
と言われ続けて、私は育った。
小5のとき、研究授業の前日に担任から、「明日、お前は休んでくれたほうがいい。」と言われた。
うちに帰ってそのことを報告すると、「お前は冗談すらわからないバカなのか。」と親が私をののしった。
研究授業の翌日、担任までが、「あれはジョークだ。ジョークのわからない暗い子供ではいけない。」とシラを切った。
「やればできる」以前に、「アラを上手に隠せなきゃ、見つかってひどい目にあう」というトーンで小言をよく言われた。
中学の時の最初の中間テスト(期末だっけ?)と、知能テストの結果に差があった様で「もっと成績がよくてもいいはず!」と担任から言われました。
中学レベルだったら確かにそこから成績は上がったけど、結局そこまで。高校では落ちこぼれ。
大切なのは「やることができる能力」なのよねって、英語の先生してたときほんとに思ったな。
本当の天才なんてほんの一握り。
あんまりできないけど努力することができて結果が出る喜びを知ってる子は、ちょっとやったらできちゃう子のことをあっという間に追い越す。
跳び箱に関しては、その担任に
「あなたはどうしてやれば出来る事をやろうとしないの!?跳び箱だって、跳べないなら放課後居残り練習申し出るくらいの事すればいいじゃない!」
って言われて「その発想はなかった!」とびっくりしたけど、冷静に考えると周囲にそんな事している子は一人もいなかったのでした。
やればできるの「やる」は他の人がやってないくらいの努力をしろという事らしいので、つまり滅多な事(よほど好きな事だとか親や周囲の協力があるとか環境的に恵まれてたとか)でないとそもそも「やる」のが不可能なのではないかと。
跳び箱が跳べないとか、水泳が苦手とかそういう私に小学校5~6年の担任が「あなたはやればできるのに」ってよく言ってたな。
跳び箱はどう頑張っても出来なかったけど、水泳は中学のある日、突然コツが掴めてプールの端から端まで問題なく泳げるようになった。
その事を小学校の同窓会で担任に話した。喜ばれると思ってね。そしたらキッと睨みつけ低い声で
「だから言ったでしょ!やらないからあなたはダメなのよ!」
と言われたのでした。
「あなたはやればできる子」ってのは、気に入らない子にストレートに「お前はダメ人間」って言わないためのストッパーにすぎなかったらしいよ。
母からそう言われ、「その“やり方”がわからんのや!」と言い争ったあの日…
はやったのに釣られたと実感しているのはキン消しとビックリマンかしら
何をどうやればいいのかわからないまま今に至っております
やらなくてもできたけど褒められないと伸びないし褒められるとプレッシャーに負ける子でした。
バスケだったかなあ、なんとなく様子見しながら消極的に動いた後コツをつかめてから積極的に動いたら、なんでやればできるのに最初から動かねーのか、って怒られた記憶が。
やればできるってのは経験とかスタミナとかを考えない、けっこう乱暴な言葉なんじゃないのかな、と
家庭科の時間、糸を八重歯で切る子がいました。
やればできるけれど、やらない子でした。
子どもの頃はね。
どんどんできなくなってるけど。
まぁそういうもんだね、若い子らはできる内にやっておいた方がいいんだよ、何だかんだ言ってね。
たいしてやる気が出ないまま今に至っていますのでわかりません(´・ω・`)