愛知トリエンナーレとそれを取り巻く残念な状況については遺憾としか言いようがない。
同じ言葉をくりかえすところに追い込まれているのしかないのだなと思うし、未だ状況を理解していない人々もいるのだから、繰り返される同じ言葉はそういった人々の道標になるのだから無駄ではないが、だが相手側も同じ言葉を繰り返し、結局は同じような割合で双方の陣営に入って行く。
完全な膠着状態で、手を緩めるわけにもいかないが先は見えない。
問題は多分もう文字や音声というメディアでは伝えられる限界の外側にある。そもそもシニフィエがずれてしまっている。
そしてシニフィエのずれをシニフィアンの束から自らの記号の結びつきかたを修正していく態度や技術は当然のもとしてはないようだ。
ここであえて飛躍する。
多分、模索すべきは愛の作法。