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成熟のことを語る

(承前)

個人と言うのは責任ある主体のことで、じゃあ責任とは何だってことなんだけど自身の行動の結果を自身によるものとして受け止めることなんだけど、もうひとつここで重要なの、たとえば誰かを殺してその財産を奪った人が「意図したとおりに殺して奪ってやったことを俺は知っている」ってだけだったらやっぱり責任があるとは言えなくて、関わる人々への基本的な愛情がここには不可欠だったりするわけで。

で、そうまどろっこしく言ってしまうと難しい感じなんだけど、要はラブコメなんかで「オレ…自分のことしか考えてなかった…君の気持のことなんて…うああああっ」と…[全文を見る]

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成熟のことを語る

最近、個人としての成熟とは結局のところ責任感の成熟ではないかと思うわけなのだけれど、責任概念自体が社会的にあいまいで、結構な役職にある人でも責任とは何かあったときにペナルティを受けることだと勘違いしていたり、あろうことか、そのペナルティすら握り潰せると考えられる場合にはむしろ「私に責任がある」と言うことが権威を示してその追求を黙らせることが出来ると考えているこの社会が何如に個人主義からは遠いのかと言うことを思い知るばかりで。

そういえば以前、日本人の公共意識の低さや利己的な振舞いなどから「日本人は集団主義的ではなく個人主義的だ」といったレポートが出てたけど、こういうレポートを書いてしまう人と言うのはそもそも個人主義も個人なる概念もわかってないか、これまでの議論に用いられていた語の定義をまるっと変えて新発見と言いはるトンマなわけだけど、これ出たのたしか東大だったよな。