僕 先生じゃないし テスト採点するのもされるのもイヤン
なので点数つけられないお・・・!
それはおいといて
ワタシがいちばん疑わしく思うのは、やっぱり
「悪いことした人を排除し、間違った者を追い出したら、それで本当に、安心できるのかなあ?」 ということです。
また、次の「間違い探し」を始めて、きりがないんじゃないかな。
何かに でっかい罪を着せて、遠くに追いやる というのは
長い目で見ると 排除した側の視野も狭めるのではないかな。
心の中が単調で、一貫性はあるかもしれないけど、変化も成長もなくなるというか、景色が貧しくなるというか・・・
そんな感覚的な表現しか、出来ませんが・・・
「今日のワタシはこれが正しいと思ってるけど、明日にはその価値観も覆るかもしれないなあ」という余裕を持つことは
この先、自分が成長するぞ、変化するぞ! という
希望と伸びしろを残しておくことにつながってる と思うのです
だから、コウモリ的態度を「臆病者」というほどには、
後ろ向きにとらえなくていいんじゃないかな? と考えています
