id:nekoana は
ドアのブのことを語る

[ぼんやりとふだん思ってること]

一神教の歴史がながーい人々の中では
血のつながりのない他人同士の間で
富める人がサラリと持てるものを与え、貧しい人が悪びれずほどこしを受ける、っていう文化があって
それを日本人が見て驚く、っていう記事をよく見かけるんだけど
(もちろんそれを勧める教えも明文化されてはいるけど)

やっぱりその行動の下敷きには
「持っていることは、その人の手柄ではなく、持たないことも、その人の落ち度ではない」
↓
「持つことも持たないことも、どちらも偉大な存在が与えたもうた在り方にすぎず、
その存在の前では、皆同じように非力な小さいものであり、そして皆愛されている」
↓
「持つことは、誇ることではなく、持たないことは、恥じることではない」
という、神様がいることによって自然に導き出された「個人観」みたいなものが 定着しているんじゃないかなあ、と

だから神様(みたいな存在)を抜きに、「みんなちがって、みんないい」と日本で言っても
「その「みんないい」を、いったい何者が保障してくれるの?」
みたいなところで、引っかかってしまうのではないかな