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自分(id:Kodakana)のことを語る

武家時代の秩序を支えていたものは主従関係の倫理で、主従関係を結んでいるという理由で、侍は主人に対して最大で命を捨てる義務を負っていた。

江戸時代なら徳川将軍に対して幕臣や大名は直接義務を負う。藩士なら藩主には義務を負うが徳川氏に対しては陪臣であって直接的な義務はない。藩士には藩主との関係の方が大事なので、時に忠臣蔵のような事件が起きても、幕府からは斬首を命じるというわけにはいかず、切腹を許すというかたちで倫理的義務を果たした名誉を認めることになる。

江戸時代の庶民にはこうした意味での義務はなく、ただ武家社会の秩序が藤棚のように天を覆っていて、その下から出ることはできなかった。

明治維新は武家時代の中間構造をすっかり破壊してしまった。ところがさあ、新しい制度を作るとなっても、別に新しい政治理念を発明してそれを実現するために革命運動を起こしたわけではないから、どうするという考えもない。しかも運動の着火材として尊皇攘夷だと言ってしまったものだから、天皇を将軍の位置に据えて、今度は全国民が天皇の直参旗本として君臣関係の倫理的義務を負うことにするしかなかった。

ここで天皇というのは最初から多分に象徴であって、実際には権力を担う集団に国民が仕えるという構造になる。この権力というのはもと薩長で、幕府が開港をして海外との交易に乗り出すと、鎖国下での密貿易による利得がすっかりなくなってしまうのが困るというで幕潘体制を覆した。これがそのまま横滑りに日本政府になり、藩閥政治から党閥政治になっても、一般利益より門閥の特殊利益を優先した政治をすることは変わらない。

この構造が昭和の敗戦によって却って温存され、多少の改装や増築を経てもなお中心にあるものはそのままで、あまりに19世紀的な国家が21世紀の世界に存続しているところに現代日本の根本問題があるのでしょう‥‥。