大説の人よりも、小説の人でありたいなあと思う。
大説とは偉くて立派な人が説く事柄である。小説とはどうってことのない普通の人が説く事柄である。
なので、ぼくにとっての小説とは、そうそう人間ってそういうところがあるよなーという
強さも弱さも、希望も絶望も、信念も諦めも、永遠も儚さも矛盾して持ってるということを分かってるような
「偉ぶらない」「強ぶらない」「賢ぶらない」自分たちの側に寄り添った物語だったりする。
偉人・超人の話は確かに面白いしタメになる。けれども、そればっかりが人生じゃないんじゃないの?
と思って30年。あと少しで40年になる。こういう生き方は辛い。
けれども、いつの日にか、もっと強くなって、余裕ができたら、人に優しくなれる気がする。
ぼくが長年寄り沿っていた経営者は、そういう混沌とした人生の両面をよく分かってる人だった。
「ハッピー君、ぼくはね焼きそば・カレー・かつ丼があれば、生きていけるよ」
「テキトーとは、適してて妥当だから、正しい。適当なんだよ。君はテキトーになりなさい」
ぼくは稲盛和夫さんや松下幸之助さんの言葉より、こんな言葉のほうが魅力を感じる。
自分(id:happysweet55)のことを語る
