中高生とぼくが「天声人語」が苦手だった(おそらく今も)理由は、
間違いなく名文だし、視点が鋭く、理論も正しいと思うんだけれども、「で」がないからだったと思う。
「で、何?」、「で、どうするんだよ」みたいなところがないのだ。
そういう家庭に育ったのもあるんだけれども、我が家の「批評家になるな」の象徴が、
いま思えば、あの小欄だったような気がする(ぼくは当時から理屈臭かった)。
なので、ぼくは文章の中で完結する文章に興味がなかったし、今もあまり興味がない。
おそらく一部の人を除けば、文章を練り上げることよりも、「で」の後の人生のほうが大事なんだと思う。
実際には「で」の前のロジックや考え方も同じくらい大事な気もするんですが、
なるほど、いまのぼくはこんな風にして作られたんだなと再確認。
大学で教えたり、新聞記者になった友人と比べて、才能も努力も足りなかったんですが、
そもそも育った環境や刷り込まれた価値観が大きく違ってたんだなと。
自分(id:happysweet55)のことを語る
