ご指摘について全面的に同意します。ことに人間、あるいは個の「神性」を直接的に表現された点には共感します。(こういう言い方がお好みでなければ申し訳ないのですが、Siestaさんの「言葉の選ぶセンスが大好き」です)。
とはいえ、祭谷一斗さんの訳は、少なくとも原文に忠実な、超訳ではない優れたものだと思いました。それで、紹介リンク&自分用ブックマークにここを使わせていただきました(さらに全文を見つけた誰かが教えてくれるのではないかと期待して、ダイアリーにも同様のことを書きました)。スピーチ全文を探していて、あの時点でわたしが見つけられた中では、最善だったと思います。
さて弁解はこの辺りにしておいて。Siestaさんのご指摘で「ああ、そうか」と膝を打ったことを。原文のJerusalem Post紙のこの記事の冒頭のがあたかも小見出しのように扱われた"Israel is not the egg."です。おそらく、この記者は、かなり正直な方なのでしょう。そして、Siestaさんのおっしゃるとおり「イスラエル人たちよ、あなたがたも卵なのだ。」との春樹メッセージを受け取って、「違うー!!!!!!!!!!」とストレートに反応したのですね。とするならば、この記事で扱われた春樹メッセージは、都合のよく抜粋引用はできても、少なくとも主張をねじ曲げることはできません。そして、影響を受けてしまった者として、影響を与えた相手もまた貶めることもできなかったのではないでしょうか。
かねてより、イディオト・アハロノトはじめ、ハアレツといい、マアリブといい、イスラエルポストといい、国内反対意見、反イスラエル政府のユダヤ人の主張を取り上げることを躊躇も抵抗もさほどないようです。たとえば良心的兵役拒否者の活動など。批判はしても、あるときは共感し、無視はしませんでした。そのせいか、おそらく何らかの政治目的を持って無視しているであろう欧米のメディアが書かないことも明らかにされることもしばしばありました。イスラエル政府が行なっていることとは別の何かを感じて、イスラエルのジャーナリストは仕事をしているように思います。全部とはいえませんが、その部分に限っては、彼らの純粋な仕事人としてのプライドであり、個の神性の発露です。そして、わたしはそこを信じたいと思います、ロマンティックであっても。いえ、ロマンティックだから。
イスラエル入り、するべきかせざるべきか最後まで迷った、という村上春樹自身、利用されること、そして利用されたことを批判されることを想定していたに違いありません、それはもう、ありありと。けれど、最終的に授賞式への出席を決めた。彼を衝き動かしたのも、村上の言う、個の神性を信じる気持ちではないかと妄想します。
残念ながら、脳がスカスカなわたしは、論理的に「村上春樹を批判してはならない」と唱えることはできません。けれども、「ただ人間の神性を信じる」ことはできます。むしろ、そこは得意分野です。ロマンティックなら、わたしにお任せください。(笑)
というわけで「卵の側に立とう」というあなたのご提案に全面的に賛同いたします。
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