どうも。
まず一つ言っておきたいのは、私はそれほど古い時代のことについてアイヌという言葉は使いません。東北地方の、特に北部に、アイヌ語で意味が解る地名が多いといっても、それはおそらく、いわば「エミシ語」であって、彼らがそこに勢力を張っていたと想定していい時代には、考古学的に見たアイヌ文化はまだ成立していません。それにエミシの多くは、その後アイヌ人になったというよりは、渡来した百済人や高句麗人らとともに、「日本人の形成に加わった」はずです。
同様に、古代の近畿地方に、いわゆる和語と異なる言語を話す人々がいたとしても、それをアイヌ語と呼んだらおかしなことになります。それは例えば「土蜘蛛語」かもしれないし、他のものかもしれない。もしいたとして、それが、後のアイヌ語と何らかのかたちでつながっている「可能性を視野に入れてよい」という風に私は考えています。
民俗的な面から見ると、各地に点々と、「餅なし正月」と呼ばれる風習があります。それらの多くが、もし、水稲耕作文化が移入される以前の文化が、何らかの変化を経て遺存したもの、と考えてよいならば、「餅なし語の地名」と仮称すべき地名は余程あるのではないかという考えが起きてきます。あるとして、それらがアイヌ語と何らかの関係があるのか、またないのかは別の問題です。
梅原説については、私が知る限りでは、氏が「縄文語はアイヌ語」というほど短絡的な言い方をしていたとは記憶していません。梅原さんが言ったのは、「通説は推断が多いのじゃないか」「通説よりアイヌ語と日本語の関係は複雑で深いのじゃないか」「言語学者は偏見や差別を学問に持ち込んだのじゃないか」ということだと思います。これは日本の学界や社会にとって重要な指摘ですし、私にとっても、北海道に植民した和人の三世として受け止めるべきことがあります。
ただ、アイヌ語と日本語の「構造の違い」について、私も知識不足ですけれども、どれほどの大きさと見るべきなのかは疑問があります。私が知る限り、両者は文法上の特徴や、音韻構造の面ではよく似ています。主な違いは、語彙と、抱合語としての特徴の強さの度合いでしょうか。
アイヌ語を抱合語に分類したのも金田一京助だと聞いています。それは一応正しいのでしょう。しかし、片や膠着語だ、片や抱合語だといっても、その違いがあることは分かりますけれど、違いにどんな意味があるかは別の問題でしょう。
果たして、その違いがあれば「系統的な関係はない」と言えるのかどうか。これも私は知識不足であまり踏み込めませんし、金田一さんの時代に結論めいたことが言えるほどの研究があったのかどうかも知りません。今は一応のこととして、「数千年の単位で言語の変化を考える場合には、抱合語から膠着語に変化する可能性は、視野に入れてよくはないか」くらいに疑問を持っているだけです。
アイヌ語の中に、明らかに近世以降に日本語から取り入れた語を数えることができるのは確かです。しかしそのことと、アイヌ語と何らかの関係がある古い言語から、日本語の祖語が借用した言葉がないかどうか、あるいはアイヌ語と日本語に系統的な関係がないかどうか、これも別の問題です。
また、金田一さん、知里さんにしても、それぞれの時代が持つ限界の中にいたということを見なければなりませんし、今の私達にしても、そういったものと無縁でないどころか、大有りだという自覚が必要だということも言っておきます。
私には結論を急ぐ能力も必要も何もないので、こちらからはここまでにしておきます。楽しい話題を提供してくださってありがとうございます。
