id:dadako
勝手に引用のことを語る

「俺はよく、人間の耐えられる苦しみの量というのはどれぐらいなんだろうと考えたもんだ。人間の忍耐の限界というのはどこらへんにあるんだ? こんなにみじめでけがらわしい生活だっていうのに、一体どこまで苦しんだら人間は執着が消えるんだ? こんなふうに自分で自分に聞いては、俺はこのすさまじい悲惨に俺たちを耐えさせている不思議な力の正体を知りたいと思って長い間考えこんだ。他の場合だったらこの生活のほんのひとかけらでもとても“耐えられない”と思ったに違いないんだ。
 この不思議が心理学なんかで説明できるとは思わないが、俺は自分のうちにおこったことを何とかおまえに説明できると思う」
「この頃俺はありとあらゆる死の条件にさらされていたんだ。そのうちたった一つの条件でさえ俺を死なせるには十分すぎるぐらいだった。飢え、乾き、強制労働、ぶん殴り、病気、点呼、拷問を受けている者のうめき声、延々と続く虐殺、蚤、積み重なった死人たちーーこれだけ全部一度にそろわなくたって、とっくに死にたいという気になるのが当り前さ。これはもう本当に、生理的に“耐えられない”状態だったんだ。だがそれでも俺は耐え抜いた。他の連中と同じように」
「俺の場合は、どんなことがあっても、自分から死ぬことだけはすまいと堅く自分に誓っていたんだ。俺はここのすべてを見て、すべてを体験し、すべてを学んで、すべてを記憶したいと思っていた。何のために? その結果を世間に向かって知らせる機会など決してくるはずもないのに、なぜそんなふうに俺は望んだんだ? 分からない。俺はただ自分をこの世から消したくなかった。俺は自分の生きてきたことの証人であり続けなければならなかったんだ」

『アウシュヴィッツの音楽隊』、pp.99ー100より