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まるこめのことを語る

さっきからつらつら愚痴ってるひとりごと
  
これがいわゆる「形式」とよばれるやつだな。
かくいう自分もその本質(といってもそんなにたいしたことないといってくるだろう)をわかっていないのだから。
それは、形式であれ、本質であれ、それが動的に推移しているために、
自分がそれに強く属するために客観的な視点でみる試みさえ主観的な要素を多分に含む結果となってしまうからである。
しかも、自分が存在する以前からこの動的な有機体はその絶え間ない「受容と消化」を繰り返してきたのであるから、
誕生から追わないかぎりその全容を捉えることなんてできないはずだ。
  
だから、歴史を本質的に見極めるのは極端に言えば、「無理」なのだ。
あくまでその一部しか垣間見ることができない。
史料がなければなおさらでである。
だからといって、歴史をやる必要が無いかと問われれば、そうでもないだろう。
現に、歴史を研究している人たちはその無意味さを省みず、または別なところに意味を見出そうとしているのだ。
ある成果に対し、研究者どうしで批判がでるのは当たり前であり、出ないことが問題なのである。
無意味さがそこにあっても、それでいいのだという一種の妥協がなければ、本質を動的な中でかつ自己もそこに存在するそれに客観的に見極めていくことなどは到底無理である。
そこに研究者への敬意を私は感じるのである。