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勝手に引用のことを語る

【取り違え事件と文化資本】
所得の格差はいつの時代にもあるもので、それが取り違えの悲劇を深刻にしてはいる。しかしこの事件では、金銭としての所得以上に家庭環境が二人の人世に影響してしまっている。ここで言う家庭環境とは「教育熱心」などで、社会学者のP.ブルデューならば「文化資本」と呼ぶであろうような、所有者に社会的地位を与える文化的教養である。
所得格差だけであれば、所得再分配である程度はカバーできる。生活保護もその一環である。けれども文化資本となると、再分配は難しい。(中略)
文化資本の欠如が人生に深い影を落とす例としては、児童養護施設に育つ子どもたちが思い当たる。
草間吉夫氏(茨城県高萩市長)は生後三日から高校卒業までという、わが国でもっとも長い期間の施設での暮らしを経験されたが、感動的な著書『ひとりぼっちの私が市長になった!』(講談社)によれば、施設の子どもたちは六人に対し一人しかいない大人からの愛情を奪い合うことで過大な時間とエネルギーを浪費し、疲弊しているという。
草間氏は尊敬する先生の愛情に恵まれ、東北福祉大から松下政経塾を経て政治家になったが、これはよほどまれなケースであるらしい。コウレイシャノ介護施設には、一人の職員に対して被介護者が四・三人いる。高齢者の方が子どもより恵まれているのは「票を持つから」というのが草間氏の説明だ。親子関係をめぐる文化資本には、いまなお根深い不平等が存在している。

(東京新聞2013年12月13日夕刊、松原隆一郎)