開戦前の一九四一年秋、空母「蒼龍」への乗艦を命じられ、大分県の航空機でゼロ戦と出会いました。厳しい訓練を経て出港。戦艦、空母、巡洋艦などが集結した択捉島の単冠湾で「目標は真珠湾」と知らされました。原田さんの役割は艦隊の哨戒飛行でした。
攻撃隊が戻り、「軍港が火の海になりました」との報告があり、艦上は「バンザイ、バンザイ」と戦争に勝ったよう。電信員が原田さんに近づいてきました。ゼロ戦一機がはぐれてしまったのです。
「攻撃前、位置がわからなくなったら、誘導電波を艦隊に要求しろ、その電波にのって帰れるという話でした。電信員は『電波を要求しているが出せない』という。『ひどいじゃないか』と詰め寄ると『敵が電波に乗ってやってきたら元も子もない』というのです。大を守るために小を犠牲にする。戦争の無慈悲を感じたのです」
(真珠湾攻撃から敗戦まで「ゼロ戦」に乗り続けた元パイロット原田要さん、東京新聞2015.8.14社説「元ゼロ戦が乗りの反戦論」)
勝手に引用のことを語る