本を読んで考えて同じ感想を持つ、本を読んで考えて記述して内容が同じレポートを出す、というのはあり得ないわけではありませんが、本来は個人差が出てもおかしくないはずのものです。それに個人差がでてこない、ということは異常事態です。それを倫理的な問題である、というふうにするのは間違っていないと思いますが、それだけなのかなあ、とは思いました。
本を読んでそこに書いてあることを解釈をして思考してほんとはレポートを書くのが筋なのですが、「本を読んでそこに書いてあることを解釈する」という読書の経験がたりないと、「本を読んでそこに書いてあることを解釈する」訓練がなされていませんから、レポート提出を義務付けて本を読ませて理解させようとしても、おそらく本を開いてもそこに書いてあることが理解できていない可能性があるわけです。学校とかの教育機関とかからすると、教えたいことがあったとしてもあんまりつたわらないわけで由々しき一大事なんじゃないのかな、と思うのですが。ここらへん私の誇大妄想かもしれませんけど。
もし、本を読む習慣を小さいころからつけて、小説でもその小説を読んで、そこに書いてあることがどんなことか読み取っていろいろ解釈したり、どこがどう面白かったか、なにがどのようにひっかかったか、という言語化の訓練をしていたりすれば、それは回避できるのではないかとは思うのですが。
おれは十数年前に働きながら大学へ行ってて本をそれほど読んでいなかった証拠に論理的な思考を得意としないので大きな口を叩けませんけども。
クローズアップ現代のことを語る