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コネタ今日知ったことのことを語る

京都の地図をご覧いただくとわかると思うのですが、粟田口とか鞍馬口とかあるのですけど、室町期くらいから大きな街道筋に門というか関所を設けて通行料をせしめてました(余談ですが、応仁の乱前後に日野富子ってのがいて、通行料をふところに入れてた説があります)。丹波口は丹波街道のはずです。そのあと秀吉が京都市内にぐるっと土塁を築いて、やはり街道のところには丹波口とか口のついた出入り口があったようです。通行料をとる関所も土塁は今はないはずなんすけど、その地名だけ残ってる、というのをきいた記憶が。