はずかしながらこの件をちゃんと追っていないのでヘタなことは云えないのですが、いちばん引っかかったのは、未成年ならいざ知らず成人男子の起こした事件でなんでその母親が出てきて頭を下げるのだろう、という点です。「世間の収まりがつかない」という判断なのかな、とは思うのですが、犯罪は世間が許すわけでもないわけで、この世間ってなんなんだろう、というところで思考が暗礁に乗り上げています。
世間を考えるうえで仇討ち文化というか、年末の忠臣蔵がいい例なのですが、おのれのことではなくても誰かの恨みというものに寄り添ってその成敗を喝采することをそれほど変に思わない性質がこの国にあるのではないか、と思っています。あんまり関係ないはずの母親である女優が被害者の前で無いのに頭をさげることがその仇討の成敗みたいなもんかな、と思ったのですが、あんまり関係ない人が頭をさげたところで何の解決にもならないわけで、加害者への批判ってのは収束しないのではないかと思います。
ではどういうのが一番良かったのか、といえば、加害者の属性に関係なく事実を淡々と報道すべきであったはず(加害者が有名人であるがゆえに被害者側にとって不必要な情報まで公開されている印象があります)、というのはいまのところ持ってる仮の解ですが、報道・編集する側にも真実を追う自由がありますし、そうはいかないかなあ、と。もらいぐるぐる状態です。
ながながとしたまとまりのない亀レスですいません。
ぴょんのことを語る