「黒い雨」の中で甲奴郡に戻ってからピカドンの後遺症に悩まされながら、でも田舎だからなにもしないとイヤミを云われるので魚の養殖をしようか、ってことになるくだりがあるんすよ。この国、非生産的な行為や他人との差異がある場合に対しては他人が目ざとく咎める。
で、潜在的に周囲と同質性がない場合、「居場所がないなあ」って感じる人は居ると思うし、井伏さんが描いたように他人と差異がある人の生き難さってのは昔からあるんじゃないかな、という気がしてます。この国の宿痾みたいなものなのかなあ。「生き難さ」があって、今日より明日がよくならないなら今を楽しむというのもありだと思う。でもなんだろ、アリとキリギリスのことを考えるとキリギリスはダメという価値観というか、キリギリスへ行くことをバカにしていいような空気もあるよなあ、と。ごめんなさいって書いてばかりで恐縮ですが、まとまらなくてごめんなさい(関東土下座組)
自分(id:gustav5)のことを語る