○心理学を系統だててやってないのでヘタなことは云えないのですが、人が不安を感じるときになぜ不安に思うのかというのは必ずしも明確ではないはずで、不安に感じるときになにかしら敵となる存在を作って「彼らが悪いから」といったん理由付けしてしまえば、それがまったく根拠のないものであっても、不安の原因がわかるような錯覚に陥るのではないかと思っています。
○ナチスの場合、ヒトラーがわが闘争の中で述べてるのですけど「あれこれ迷わせてはならぬ」という態度で、妥当かどうかの検討もなされずユダヤ人が標的になって、正しくなくてもその道に突き進んだものと理解しています。
また障害者の政策については国家のためには個は従属されるべきという国家社会主義的政策の行き過ぎた実例だったと考えています。ドイツ史専攻ではないのでここら辺の話半分に訊いて欲しいのですけど。個というものが大事にされず国家のために、なんてお題目が出ると容易にそうなっちまうのかもですが。
○それとはまったく別個の話として、集団と集団の間に差異があるとき、その差異が変えることのできない歴史的なものであったり、もしくは差異を無くすことが政策的に適当でないゆえにその差異に応じた政策的処置があることがあるのですが、仮に「どんなことでも平等であるべき」「差異なんか横に置いておいて平等であるべき」という結論を前にすると、その差異を前提にした取り扱いが平等を阻害するもの、と見えてきちまうのかなあ、と。それが「平等は実現されないのでわれわれは不利益を被る」という心理につながってるのかなあ、と。
○なんだか返答になってなかったらすいません。
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